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SKY CAFE

 幾何学大学 ~サクラの夢~

   

ある日、桂樹は、あの桜を心配していたサクラの様子が気になり樹の状態を見に行った。  案の定、そこにはサクラがいた。

「この桜の樹、枯れちゃうのかなぁ」

 

サクラは、植物の栄養剤を手に、しょんぼり座りこんでいた。

――別に、桜の樹が一本切られたって、感傷的になる訳じゃないが……。  サクラが、自らの命をこの桜の樹に託しているのなら。

「サクラ……兄ちゃんが、この桜治してやるよ。きっと春には花を咲かせるさ」

「本当!?」

「本当だ。だから、サクラは病気を治さないとな」

「約束、約束だよ!?」

 

桂樹は、そう約束をして、咲かない桜の樹についている虫を数匹採取すると、宇宙科学部の研究室へ持って帰った。  十樹は、学長でありながら、研究室で宇宙の成分となる液体を補充している。  それを横目で見て、桂樹は、自分のゴキブリルームに入った。

「さあ、君達に活躍して貰おうか」

 

ゴキブリのそう呼びかけると、桂樹の周りに無数のゴキブリが集まった。

「ふっ、オレってモテモテだな」

 

桂樹は、そう独り言を言うと、桜から採取した虫を、ゴキブリのエサ箱に入れた。

 

ゴキブリ達があつまった原因は桂樹ではない。あくまで、たまに桂樹から与えられる 「おいしいエサ」が目的だ。

 

桂樹は、今まで決して女性にモテない訳ではなかったが、いつも最終的にはゴキブリと決別する事を女性から求められ、「私とゴキブリ、どっちが大事なの!?」と究極の選択を迫られるのだ。  もちろん、その都度、ゴキブリの方が大事と返答して、平手打ちをくらった事が数知れずある。

「ゴキブリはオレを裏切らない」

 

それが、桂樹が女性より、ゴキブリを優先する理由だった。

「さあ、誰がいいかな。キャサリン、君の調子はどうだ?」

 

地球ゴキブリは言葉を覚えない……。

                 

 

翌日、十樹は研究室で朝を迎えて、歯を磨いていた時、桂樹を見て、ぎょっとした。十樹の視線をさして気にしない桂樹は、いつもの様に鼻歌を歌いながら、研究室を出て行った。

「桂樹先生のあの姿は……いったい何なんでしょう」

「さて、私にもわからないよ」

 

橘の問いかけに、何も答えられない十樹だった。

                 

 

桂樹がいつものように廊下を歩いていると、すれ違う人々が、皆、驚いた様子で桂樹を見ていた。  ある者は「キャー」と叫んだり、またある者は、珍しい物を見て興味深げだったりと、反応は様々であったが、桂樹は自分が注目されていると感じて、誇らしげに歩いていた。

「あれ、学長じゃ……ないよな」

「多分、弟だ弟、あの『ゴキブリ王国』を造った……」

 

すれ違った研究員達が、ひそひそと話をしている。  以前の学長代理選挙の時、十樹の代わりに桂樹が演説をしたらしいと言う事は、もう幾何学大学に所属する、ほとんどのものが知っている。

 

桂樹は、そんな話を開き直って聞いていた。

 

廊下を歩いていると、神崎亨に出会った。  途端、神崎は、壁にへばりついて桂樹に言った。

「し、白石桂樹……、お前は何のつもりで、そんな格好をしているんだ」

「たまには散歩もいいんじゃねーかと思って」

 

恐怖にひきつる神崎は、恐らく潔癖症なんだろうと桂樹は思った。

――こんなに「オレ」は喜んでいるのになあ。

 

桂樹は、頭上でぶんぶんと音を立てながら回っているゴキブリ達を見て思った。  今の桂樹は、背に自分の分身「オレ」を背負い、ねんねんこを羽織り、頭のバンドに、胴を紐でくくられた十数匹のゴキブリを連れていたのである。

「会う度に、お前の格好は変になっているじゃないか! 何とかしろ!」

「何とかしろと言われてもなぁ……」

 

何とかしたい事が他にある。

 

神崎は、拳を振り上げて桂樹に怒鳴った。  そんな神崎の言葉を無視して、桂樹は桜の元へ向かった。

「さあ、君達が正義になる時が来た」

 

桂樹は、頭のバンドを取ると、桜の樹にゴキブリ達を近づけた。

「いけ! キャサリン、サラ、ステファニー!」

 

すると、ゴキブリ達は、桜の樹に止まり、正義の為に、もとい「おいしいエサ」の為に、桜についていた虫を一心不乱に食べ始めた。 桂樹は、その様子を見て、満足げに頷いていると、庭師が来た。

「何をしてるのかね?」

「咲かない桜を、咲かせてみようと思ってね」

「ほう……」

 

庭師は、桂樹の放ったゴキブリ達が虫を食べているのを見て、感心していた。

「この間も言ったがな……この桜は大きく育ちすぎた。他の桜に影響が出ないうちに、切り倒さないと危険だ」

「まだ、他の桜に害があるって、決め付けるには早いんじゃないか?」

 

そう言う庭師の手にあるのは、電動ノコギリだ。  桂樹はそれを見て「間に合った」と呟いた。

「いいか! 庭師、これは学長命令だ。この桜は今日から研究対象になる。だから、切り倒すのを待ってくれ」

「学長? あんた学長だったんか!?」

「そうだ(十樹が)」

 

桂樹は、十樹の権力を到るところで使っている。

 

学長室の椅子には、いつも桂樹が座っており、十樹は何か事件や、大事な用件がない限り学長室には戻らない。十樹の代わりをしている為、食事はいつも学長の為に用意された出前(桂樹にとっては、ご馳走)なのである。

 

注文をする際、一人で二人前を食べている事実は、十樹には明かしていない秘密だ。

「学長さんの命令じゃ、仕方ねぇな」

 

庭師は、やれやれと近くにあるベンチに座った。そして、自分が造ったのだろう、幾何学大学の庭を愛おし気に見て言った。

「この桜は長くはもたんが、この中庭を造る前から、ずっとここに立っておったんじゃ。虫達が悪さをせなんだら、もう少しもったんだろうがな」

「また、花を咲かせることは出来ないか?」

「多分、無理じゃろう。この大学の研究者が、何か奇跡的な薬を作れば、別なんじゃろうけどな」

「庭師……じゃあ、オレが作ってやるよ。奇跡の薬」

 

本来ならリアリストである桂樹が、出来るあてのない事を言った。

「そうさな、学長さんなら出来るかも知れんな。何せ、宇宙を造ってしまう程の頭の出来だ」

「ああ」

 

今にも倒れそうな一本の樹を再生する。  それが夢物語だと分かっていても、何もしないよりはずっといい。  桂樹は、そう思った。

「それじゃあな、学長さん。学長さんの研究成果を楽しみに待ってるよ」

 

庭師は、ベンチから重そうな腰を上げ、他の作業へと移った。  桂樹も、ゴキブリ達が大体の虫を食べ終えたのを見届けると、ゴキブリ達を桜から離した。

 

虫を食べ終えたゴキブリ達は、桂樹の目から見て明らかに腹部が膨れていた。  お腹が膨れて動かないゴキブリは、皆、桂樹の頭で休憩をとっている。

 

桂樹は、食べ終えた後の桜の樹を見た。

 

すると、幹の半分が既に虫に喰いつかれており、桂樹は頭を悩ませた。  また春を迎える為には、支えが必要だろう。

――とりあえず、倒木になる恐れがある桜の樹の周りを木で囲って紐で固定するか。

 

桂樹は、中庭の一角にあった倉庫から、木材を持ち運びノコギリを使って、桜を支える為の囲いを造っていると。

「お前は、また馬鹿なことを」

 

十樹が現れた。

「馬鹿じゃねぇ、お前だって、そのくらい知ってるくせに」

「あの子の事を気にかけてるのか? 桂樹、ここに入院している患者は山ほどいる。それぞれの願いはあるだろうが、一人一人の言う事を聞いていては、幾何学大学は回らない」

「――そんな事は分かってるさ」

 

けれど、病室で頬を染めて、大事そうに安い焼き芋を手で包んだ、あの子の最後の願いを叶えてやりたいのだ。

 

そんな事を考えていると、十樹がふっと笑った。

「なんだよ」

「いや……いつもと役回りが違うなと思っただけだよ」

「何が言いたいんだよ」

 

桂樹は何だか気恥ずかしくなって、十樹を睨んだ。  十樹は、くすくす笑っている。

「いや……すまない。今のは学長としての私の意見だ。聞き流してくれ。一人じゃ大変だろう。私も手伝うよ」

 

桂樹の切り出した木材を使って、十樹は、樹の寸法を測ると、木材に金槌でクギを打ち始めた。

「しかし……どうする。お前も私も樹医じゃない。植物学なんて、学んでこなかっただろう。この樹を復活させるのは相当困難だ」

「今からだ。今から研究するさ」

――それでも、果たして間に合うか。

 

桂樹は桜の樹も、サクラの身体も今にも倒れてしまう錯覚に囚われる。  サクラの願いを叶えること。  自分に果たして、その力があるだろうか。

「学長さーん、お兄ちゃーん」

 

十樹と桂樹が作業をしていると、病院の窓から手を振るサクラの姿があった。  作業の手を止めて、二人は軽く手を挙げて、サクラの声に応えた。

 

あの子の笑顔を守りたい。

                

 

その後、桂樹は、既に朽ちた木くずを研究室に持ち帰り、再生植物に関するデータを集め、あの桜の樹の幹が正常な状態になる様に、研究を始めた。  十樹は、幾何学大学にいる庭師以外にも連絡を取り、木の再生について各所に電話をして、情報を得ていた。  しかし、良い回答は得られなかった。

 

幾何学大学では、生命体に関する研究は可能でも、植林や自然物に対しての研究は行われておらず、二人は結局、自力でその方法を探し出すしかなかった。

――今、こうしている間にも、サクラの時間は、どんどん失われていくのに。

 

二人のサクラに対する想いは一緒だった。

「だーっ! 分からんねぇ! オレには分かんねぇ!」

 

生体医学を学んでいた桂樹だったが、樹医になんてなれないと、ぽつりと呟く。桂樹に出来たのは、 サクラの持っていた栄養剤の成分と大差ない液体を造り出すことぐらいだった。

――そして、冬が来る。