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その日は朝から風も冷たく、空はどんよりと曇っていた。 毎日の様に、桜の様子を見に来ていた桂樹は、ふとサクラのいる病室を見た。 サクラの病室のカーテンは閉まったままだった。
――サクラ、ごめんな。オレには何もしてやれない。
けれど。 春までもたないなんて、そんな悲しい言葉でサクラの可能性を断ってしまわないでくれ。 もしも神様がいるのなら、命の期限をもう少し延ばしてやってくれ。 あの子にまた、満開のサクラを見せてやってくれ。
ここ数日間、サクラの病室には「面会謝絶」のプレートがかけられていた。
「医局で、サクラの担当医に聞いてきたよ」
「どうだったんだ?」
姿を現さないサクラの容態が気になり、十樹は医局でカルテを見てきていた。
「どうやら風邪をこじらせたらしい。ここ数日間、発熱が続いているそうだ」
「そうか」
今のサクラにとっては、風邪ですら命取りになり兼ねない。 桂樹は、サクラの代わりに自分が作り出した栄養剤を、桜の樹の根元に挿しこんだ。
☆
「ねえ、お母さん、カーテンを開けて」
ケホケホと咳き込むサクラを心配しながら、サクラの母はカーテンを開けた。
「学長さん達、いる?」
「ええ、いるわよ」
「学長さん達、あの桜を治して、春には花を咲かせてくれるの。約束したの。サクラは春が楽しみなんだ」
熱で赤くなった頬に、母親はそっと手をあてた。 母親は目を潤ませてサクラに言った。
「サクラ……春になったら、桜を一緒に見ましょうね」
「うん」
サクラは笑顔で母親にそう言うと、疲れたように、すう、と眠ってしまった。眠った事を確認すると、サクラの母親は、十樹と桂樹の元へ駆け出した。
一基のエレベーターが降りて来る。
「学長……いつも娘の為にありがとうございます」
母親は、動けなくなったサクラの代わりに、十樹や桂樹が、桜の樹の幹に栄養剤を与えていたことを知っていた。
「いえ……私達は好きで桜の世話をしているだけですから……顔を上げて下さい」
十樹が、母親の肩に軽く触れると、ゆっくりと顔を上げた。
「あの子……もうあと二、三日だと、お医者様から言われて、私には何も出来なくて」
「はい」
今にも泣き出してしまいそうな母親の言う事を、十樹と桂樹は黙って聞いていた。
☆
「あと二、三日か……結局、何も出来なかったな……」
桂樹がポツリと呟く。 十樹は、『四季』から放送されている天気予報を、ハンディコンピューターで見ていた。
「桂樹……明日は大雪になるそうだ」
「ああ知ってる……今晩は冷え込みそうだな」
十樹は、咲かない桜の枝を見て、何か、はっとした様に言った。
「見せられるかも知れないよ。満開の桜を」
「……たぶん、オレもお前と同じことを考えてる」
そうした意志伝達を、双子だからなのか、幼い頃から互いの考えていることが、ぼんやりと分かる時がある。 二人は無言のまま、その準備を始めた。
☆
翌日、天上から大粒の雪が降り、辺りは銀世界に変わっていた。 吐く息が白く大気に映った。
「お母さん、呼び出してすみません」
十樹と桂樹は、サクラの為に出来ることを、精一杯の気持ちで話すと、サクラの母親は快く了承してくれた。 そして、いつ事切れてもおかしくはない、サクラの元へ帰って行った。
「学長も兄ちゃんも、こんなトコで何してるんだよ」
雪玉を手に持った子供が、桂樹に雪玉をぶつけてくる。
「こらっ! 今日は、ここで雪合戦するのは禁止だ! 分かったか」
桂樹は、軽く拳を振り上げて、子供の顔を拳骨で叩いた。
「うわー、ひでぇ、オレ病人なのに!」
「病人がこんな所で遊んでるのが可笑しいだろう。病室に戻れ」
今晩が勝負だ。
☆
桂樹は、幾何学大学病院に入院している患者達に、徹夜で造ったチラシをバラまいていた。 そして、病棟のアナウンスを使って、患者達にそれを宣伝する。 全て、学長である十樹に了解をとった上での行動だった。
『病棟内に入院中の患者様にご連絡致します。午後七時より「真冬の桜祭り」を開催致します。中庭に面した患者様は……』
アナウンスの声は、遠野瑞穂だ。 二人は、医局にいた瑞穂に相談すると「いいじゃない」と二つ返事で引き受けてくれた。
(ただし、豪華ディナーにお土産付きで)
棟内は、そのアナウンスを受けてザワザワとしていた。
「こんな冬に桜だって?」
「一体、何をするつもりだろう」
この病院は大丈夫か?と言う患者達の問い合わせも少なからずあったが、苦情係を引き受けた瑞穂は「お楽しみに」と一言返事をするだけの対応だった。 最も、瑞穂が一番楽しみにしているのは、豪華ディナーの方であったのだが、患者達が、それを知る術はない。
そのアナウンスは、当然、サクラのいる病室にも流れた。
「サクラ……今晩、学長さん達が、ここで桜祭りを開いてくれるって」
「桜……祭り?」
サクラは今にも消え入りそうな声で答えた。
「サクラ……咲かない桜、見たいな」
「今晩の七時になったら見れる様、ベットの位置を変えるから、もう少し待って」
「うん……サクラ、眠るけど、七時になったら起こして」
「分かったわ」
母親が優しく言うと、サクラは安心した様に瞳を閉じた。
☆
そして、夜の七時、大学警察の協力の下、「真冬の桜祭り」は始まった。 二人は、七時になると同時に、プロジェクションマッピングの仕組みを利用して、中庭に降り積もった雪を桜に見立てて、薄桃色のライトを照射した。
ジングルベルのオルゴールが、病棟を包んだ。 一斉に桜が咲いたような雪を見て、患者達は歓声の声を挙げた。
「わああ……綺麗!」
真冬の月明かりの中で、淡く咲く桜。 繰り返し繰り返し流れる、ジングルベルの音色。 それは患者達にとって、夢の様な時間だった。
☆
オルゴールが鳴り響く中、桂樹は、エレベーターを待ちきれず、階段を登って、サクラの病室まで走った。 面会謝絶の札を無視して、バタンと病室のドアを開ける。
「サクラ! 一緒に花見しよう!」
桂樹は、病室に飛び込んだ。 すると、母親が小さくお辞儀をした。
「つい先程、お亡くなりになりました」
サクラの担当医が、静かにそう言った。
「――え?」
桂樹は、担当医の言う事をすぐには信じなかった。 担当医を手で跳ね除けると、ベットに駆け寄り、横たわるサクラの胸に両手を組んで心臓マッサージを始めた。
ホルター心電図は、ピ――と一定の音を立てたまま動かない。
「サクラ、サクラ! 死ぬにはまだ早い、孵って来い!」
「学長……っ!」
何度も心臓マッサージを繰り返す桂樹の背に、母親は抱きついて、それを阻んだ。
「学長っ! もうこの子は十分生きました。もう休ませてあげて下さい!」
母親は泣きながら桂樹に言ったが、構わずマッサージを続ける桂樹の額から、汗が滲み出た。 桂樹は、くっと歯をくいしばった。
「サクラ! 逝くな! ――逝くな!」
目を細め、息を荒くした桂樹の瞳から、一粒の涙が零れ落ちた。 病室には、すすり泣く母親の声が壁に反響し、やけに響いて聞こえた。
桜を見せてやりたかったのだ。
――例え、それがニセモノの桜だとしても。
☆
桂樹の願いは叶わなかった。
後で担当医に聞いた所、サクラは眠ったまま静かに旅立ったと言う事だった。 サクラの死に顔は、微笑んでいるかのようだと、母親は言った。
「きっと、あの子には、あの日の桜が見えていたんです。桜の夢を見て、亡くなったんだと思います」
後日、十樹に挨拶に来た際、そう言って、サクラのお骨を持って幾何学大学病院を出ていったそうだ。
それから数ヶ月。春が来た。
桂樹はぼんやりと桜を見て過ごしていた。
「また、あの子の事を考えているのか?」
「十樹……あの桜、切っちまったのはお前か?」
「ああ……庭師が、もうこれ以上は危ないと、私に言ってきたんだ」
桂樹は、切り株になってしまった桜に近づき、表面を手で撫でた。
「畜生……!」
自分にもっと力があれば、桜もサクラも救えたんじゃないか。
「桂樹、ほら、これをやる」
そう言って、十樹が差し出したのは酒だ。
「折角、桜が咲いたんだ。花見をしようと思ってね」
桂樹が、十樹の差し出した酒を受け取ると、背後から声が聞こえてきた。
「十樹君、桂樹君――お弁当持ってきたわよー」
瑞穂が重箱を持って、こっちに駆け寄ってくる。 橘と亜樹は、ピクニックシートを持って現れた。
皆が、咲き誇った桜の元に、わいわいと賑やかな様子でピクニックシートを敷いて、お弁当を広げた。 しかし、桂樹だけが、一人離れて、切り株を背にワンカップ酒を飲んでいる。
「桂樹君ー! 何やってるの、そんなトコで」
「うるせー、オレはここでいいの!」
「もう! お弁当、無くなっちゃうわよ!」
切り株を背に座ったままの桂樹を、瑞穂は引っ張って、皆の元に合流させようとする。 その時――。
「あら? 随分、可愛いお花見ね」
瑞穂が、切り株を見て言った。 その声に桂樹が振り向いて見ると、桂樹の座った反対側に、切り株の根元から一本だけ小さな枝に花を咲かせている、咲かない桜があった。
「サクラ……」
恐らく、それは桂樹の研究成果なのだろう。 酒の勢いも手伝って、桂樹の目からボロボロと涙が流れる。
――いつか、本当の桜を咲かせるから。
サクラとの、その約束はずっと胸に。
「見せてやりたかったなぁ、サクラに」
「なぁに?桂樹君、泣き上戸だったの?」
おいおい泣く桂樹に、瑞穂は仕方なくハンカチを渡した。
これからも、春は巡る。 その都度、きっとサクラの事を思い出すのだろう。
今は、天国にいるサクラの為に、桂樹は研究を続ける。
(終)