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SKY CAFE

 幾何学大学 ~サクラの夢~

 

その日は朝から風も冷たく、空はどんよりと曇っていた。  毎日の様に、桜の様子を見に来ていた桂樹は、ふとサクラのいる病室を見た。  サクラの病室のカーテンは閉まったままだった。

――サクラ、ごめんな。オレには何もしてやれない。

 

けれど。  春までもたないなんて、そんな悲しい言葉でサクラの可能性を断ってしまわないでくれ。  もしも神様がいるのなら、命の期限をもう少し延ばしてやってくれ。  あの子にまた、満開のサクラを見せてやってくれ。

 

ここ数日間、サクラの病室には「面会謝絶」のプレートがかけられていた。

「医局で、サクラの担当医に聞いてきたよ」

「どうだったんだ?」

 

姿を現さないサクラの容態が気になり、十樹は医局でカルテを見てきていた。

「どうやら風邪をこじらせたらしい。ここ数日間、発熱が続いているそうだ」

「そうか」

 

今のサクラにとっては、風邪ですら命取りになり兼ねない。  桂樹は、サクラの代わりに自分が作り出した栄養剤を、桜の樹の根元に挿しこんだ。

                 

「ねえ、お母さん、カーテンを開けて」

 

ケホケホと咳き込むサクラを心配しながら、サクラの母はカーテンを開けた。

「学長さん達、いる?」

「ええ、いるわよ」

「学長さん達、あの桜を治して、春には花を咲かせてくれるの。約束したの。サクラは春が楽しみなんだ」

 

熱で赤くなった頬に、母親はそっと手をあてた。  母親は目を潤ませてサクラに言った。

「サクラ……春になったら、桜を一緒に見ましょうね」

「うん」

 

サクラは笑顔で母親にそう言うと、疲れたように、すう、と眠ってしまった。眠った事を確認すると、サクラの母親は、十樹と桂樹の元へ駆け出した。

 

一基のエレベーターが降りて来る。

「学長……いつも娘の為にありがとうございます」

 

母親は、動けなくなったサクラの代わりに、十樹や桂樹が、桜の樹の幹に栄養剤を与えていたことを知っていた。

「いえ……私達は好きで桜の世話をしているだけですから……顔を上げて下さい」

 

十樹が、母親の肩に軽く触れると、ゆっくりと顔を上げた。

「あの子……もうあと二、三日だと、お医者様から言われて、私には何も出来なくて」

「はい」

 

今にも泣き出してしまいそうな母親の言う事を、十樹と桂樹は黙って聞いていた。

                

「あと二、三日か……結局、何も出来なかったな……」

 

桂樹がポツリと呟く。  十樹は、『四季』から放送されている天気予報を、ハンディコンピューターで見ていた。

「桂樹……明日は大雪になるそうだ」

「ああ知ってる……今晩は冷え込みそうだな」

 

十樹は、咲かない桜の枝を見て、何か、はっとした様に言った。

「見せられるかも知れないよ。満開の桜を」

「……たぶん、オレもお前と同じことを考えてる」

 

そうした意志伝達を、双子だからなのか、幼い頃から互いの考えていることが、ぼんやりと分かる時がある。  二人は無言のまま、その準備を始めた。

                  

 

翌日、天上から大粒の雪が降り、辺りは銀世界に変わっていた。  吐く息が白く大気に映った。

「お母さん、呼び出してすみません」

 

十樹と桂樹は、サクラの為に出来ることを、精一杯の気持ちで話すと、サクラの母親は快く了承してくれた。 そして、いつ事切れてもおかしくはない、サクラの元へ帰って行った。

「学長も兄ちゃんも、こんなトコで何してるんだよ」

 

雪玉を手に持った子供が、桂樹に雪玉をぶつけてくる。

「こらっ! 今日は、ここで雪合戦するのは禁止だ! 分かったか」

 

桂樹は、軽く拳を振り上げて、子供の顔を拳骨で叩いた。

「うわー、ひでぇ、オレ病人なのに!」

「病人がこんな所で遊んでるのが可笑しいだろう。病室に戻れ」

 

今晩が勝負だ。

                 

 

桂樹は、幾何学大学病院に入院している患者達に、徹夜で造ったチラシをバラまいていた。  そして、病棟のアナウンスを使って、患者達にそれを宣伝する。  全て、学長である十樹に了解をとった上での行動だった。

『病棟内に入院中の患者様にご連絡致します。午後七時より「真冬の桜祭り」を開催致します。中庭に面した患者様は……』

 

アナウンスの声は、遠野瑞穂だ。  二人は、医局にいた瑞穂に相談すると「いいじゃない」と二つ返事で引き受けてくれた。

 

(ただし、豪華ディナーにお土産付きで)

 

棟内は、そのアナウンスを受けてザワザワとしていた。

「こんな冬に桜だって?」

「一体、何をするつもりだろう」

 

この病院は大丈夫か?と言う患者達の問い合わせも少なからずあったが、苦情係を引き受けた瑞穂は「お楽しみに」と一言返事をするだけの対応だった。  最も、瑞穂が一番楽しみにしているのは、豪華ディナーの方であったのだが、患者達が、それを知る術はない。

 

そのアナウンスは、当然、サクラのいる病室にも流れた。

「サクラ……今晩、学長さん達が、ここで桜祭りを開いてくれるって」

「桜……祭り?」

 

サクラは今にも消え入りそうな声で答えた。

「サクラ……咲かない桜、見たいな」

「今晩の七時になったら見れる様、ベットの位置を変えるから、もう少し待って」

「うん……サクラ、眠るけど、七時になったら起こして」

「分かったわ」

 

母親が優しく言うと、サクラは安心した様に瞳を閉じた。

                 

 

そして、夜の七時、大学警察の協力の下、「真冬の桜祭り」は始まった。  二人は、七時になると同時に、プロジェクションマッピングの仕組みを利用して、中庭に降り積もった雪を桜に見立てて、薄桃色のライトを照射した。

 

ジングルベルのオルゴールが、病棟を包んだ。  一斉に桜が咲いたような雪を見て、患者達は歓声の声を挙げた。

「わああ……綺麗!」

 

真冬の月明かりの中で、淡く咲く桜。  繰り返し繰り返し流れる、ジングルベルの音色。  それは患者達にとって、夢の様な時間だった。

                

 

オルゴールが鳴り響く中、桂樹は、エレベーターを待ちきれず、階段を登って、サクラの病室まで走った。  面会謝絶の札を無視して、バタンと病室のドアを開ける。

「サクラ! 一緒に花見しよう!」

 

桂樹は、病室に飛び込んだ。  すると、母親が小さくお辞儀をした。

「つい先程、お亡くなりになりました」

 

サクラの担当医が、静かにそう言った。

「――え?」

 

桂樹は、担当医の言う事をすぐには信じなかった。  担当医を手で跳ね除けると、ベットに駆け寄り、横たわるサクラの胸に両手を組んで心臓マッサージを始めた。

 

ホルター心電図は、ピ――と一定の音を立てたまま動かない。

「サクラ、サクラ! 死ぬにはまだ早い、孵って来い!」

「学長……っ!」

 

何度も心臓マッサージを繰り返す桂樹の背に、母親は抱きついて、それを阻んだ。

「学長っ! もうこの子は十分生きました。もう休ませてあげて下さい!」

 

母親は泣きながら桂樹に言ったが、構わずマッサージを続ける桂樹の額から、汗が滲み出た。  桂樹は、くっと歯をくいしばった。

「サクラ! 逝くな! ――逝くな!」

 

目を細め、息を荒くした桂樹の瞳から、一粒の涙が零れ落ちた。  病室には、すすり泣く母親の声が壁に反響し、やけに響いて聞こえた。

 

桜を見せてやりたかったのだ。

――例え、それがニセモノの桜だとしても。

                  

 

桂樹の願いは叶わなかった。

 

後で担当医に聞いた所、サクラは眠ったまま静かに旅立ったと言う事だった。  サクラの死に顔は、微笑んでいるかのようだと、母親は言った。

「きっと、あの子には、あの日の桜が見えていたんです。桜の夢を見て、亡くなったんだと思います」

 

後日、十樹に挨拶に来た際、そう言って、サクラのお骨を持って幾何学大学病院を出ていったそうだ。

 

それから数ヶ月。春が来た。

 

桂樹はぼんやりと桜を見て過ごしていた。

「また、あの子の事を考えているのか?」

「十樹……あの桜、切っちまったのはお前か?」

「ああ……庭師が、もうこれ以上は危ないと、私に言ってきたんだ」

 

桂樹は、切り株になってしまった桜に近づき、表面を手で撫でた。

「畜生……!」

 

自分にもっと力があれば、桜もサクラも救えたんじゃないか。

「桂樹、ほら、これをやる」

 

そう言って、十樹が差し出したのは酒だ。

「折角、桜が咲いたんだ。花見をしようと思ってね」

 

桂樹が、十樹の差し出した酒を受け取ると、背後から声が聞こえてきた。

「十樹君、桂樹君――お弁当持ってきたわよー」

 

瑞穂が重箱を持って、こっちに駆け寄ってくる。  橘と亜樹は、ピクニックシートを持って現れた。

 

皆が、咲き誇った桜の元に、わいわいと賑やかな様子でピクニックシートを敷いて、お弁当を広げた。  しかし、桂樹だけが、一人離れて、切り株を背にワンカップ酒を飲んでいる。

「桂樹君ー! 何やってるの、そんなトコで」

「うるせー、オレはここでいいの!」

「もう! お弁当、無くなっちゃうわよ!」

 

切り株を背に座ったままの桂樹を、瑞穂は引っ張って、皆の元に合流させようとする。  その時――。

「あら? 随分、可愛いお花見ね」

 

瑞穂が、切り株を見て言った。  その声に桂樹が振り向いて見ると、桂樹の座った反対側に、切り株の根元から一本だけ小さな枝に花を咲かせている、咲かない桜があった。

「サクラ……」

 

恐らく、それは桂樹の研究成果なのだろう。  酒の勢いも手伝って、桂樹の目からボロボロと涙が流れる。

――いつか、本当の桜を咲かせるから。

 

サクラとの、その約束はずっと胸に。

「見せてやりたかったなぁ、サクラに」

「なぁに?桂樹君、泣き上戸だったの?」

 

おいおい泣く桂樹に、瑞穂は仕方なくハンカチを渡した。

 

これからも、春は巡る。  その都度、きっとサクラの事を思い出すのだろう。

 

今は、天国にいるサクラの為に、桂樹は研究を続ける。

(終)