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SKY CAFE

 幾何学大学 ~恋愛協奏曲~

 

『本日の大学ニュースです。幾何学大学研修センターでは、来年度を迎える研究生を対象とした、講習会が行われました』

 

幾何学大学病院の患者のいる待合室で、デレビから流れるニュースを、瑞穂は仕事の手を休めて観ていた。  毎年恒例の行事の為、特に気になるニュースではなかったが、講義をする先生の紹介画面によく知った顔がある事に気付いて、視線をその一人に移した。

――あら、桂樹君、研修センターへ行ってたのね。

『今回の講習会で合議を行っていた畜産部の東郷豊先生が、講義中に倒れるというハプニングがありましたが、その代役に宇宙科学部の白石桂樹先生が……』

 

全容が伝えられると、ニュースは代役を務めた桂樹のコメントが流れた。

『今回は、畜産部代表が欠席との事で、経済学部の東郷先生が代わりに出席しておりました。東郷先生に多大なプレッシャーがかかり、この様な結果になったのでしょう。非常に残念です』

 

前日に東郷を眠らせなかった事実を、桂樹は一言も言わなかった。

 

瑞穂は、桂樹が珍しく真面目なコメントをしているわ、と感心して見ていたのだが、桂樹からしてみれば、二十五万八千円の食事代がかかっているのだから、当然の事だった。

「ふうん、ちゃんと普通に先生してるじゃないの、桂樹君」

 

瑞穂は、患者のカルテを持って医局へ向かった。  その足取りが少し軽くなったのは、研修センターでの桂樹の講義料で、何かを奢ってもらおうと考える瑞穂ならではだった。

                 

 

東郷豊は、医師の診察により、何の病気でもない事を告げられて、宿舎のベットに運ばれた。  未だ、目覚めることなく、呑気に寝息をたてている。

「おい、そろそろ起きやがれ」

 

時刻は夕刻を過ぎてしまっている。  既に他の学部の講師は、それぞれの方法で幾何学大学に戻っている。  桂樹も早く帰りたかったのだが、同室のよしみで見捨てていく事は出来なかった。  桂樹は、東郷の頭を足で踏んで起こそうとする。

「う……んーっあっ」

 

寝起きに変な声を挙げて、東郷がようやく起きた。

「こ、ここは? 僕は一体――」

「ここは宿舎だ。お前は講義の途中からずっと寝てたんだ」

 

桂樹が事実を告げると、東郷は「何て事だ……」と頭を抱えた。

「お前の信用は地に落ちたな! 唯一の救いは、オレがお前の代わりに原稿を読んでやった事だ。喜べ!」

 

これと言うのも、東郷の前日の睡眠不足が原因なのだが、真面目な東郷は、この悪魔の様な救世主に何故か感謝していた。

「ありがとう。白石先生」

「オレの事は桂樹と読んでくれ」

 

ふははは、と不敵に笑う桂樹に、宿舎にいた職員達が「何だ何だ」と様子を見に来ていた。  この時、二人の間に偏った友情関係が芽生えたのは言うまでもない。

                 

 

翌日、研修センターから帰って来た桂樹は、いつもとは違う違和感を感じていた。 「ゴキブリ王国」を建設して以来、冷たかった周囲の視線がどういう訳か、どこか暖かい。

――そして、十樹でさえも

「桂樹、良く帰って来てくれた。今日は学長室で好きなものを食べていいから」

 

そう言って、桂樹の肩をぽんっと叩くと、十樹は宇宙科学部の研究室に戻っていった。

「?」

――好きな物を頼んでいい?

 

いつもと違う十樹の態度に疑問を抱いたが、桂樹はそれを不安に思うこともなく、メニュー票を見て ビーフステーキと肉まんとマンゴープリンをSPに注文した。

                 

 

一方、東郷は、桂樹とは逆に冷遇を受けていた。  畜産部へ報告をしても冷たくあしらわれ、所属している経済学部では仲間から無視をされるという、不遇の道を歩いていた。

「はあ……」

 

一人、経済学部から出て、大学病院の中を歩いていると、遠野瑞穂に出会った。  東郷は、先日研修センターで皆が噂していた才女を通りすがりに見ると、瑞穂が突然、東郷に話しかけてきた。

「あ――! あなた昨日の!」

「はっ?」

東郷は瑞穂の顔は知っていたが、直接会話をするのは初めてだ。

「あははっ、昨日、貴方、講義中に寝ちゃった人でしょ?」

「はっ、何故それを」

 

東郷に指をさして笑う瑞穂の態度に、痛く傷つく。  そう言えば、昨日桂樹が。

『お前の信用は地に落ちたなっ!』

と、同様に笑っていた気がする。

「だって貴方、昨日、大学ニュースで寝てるトコ流されちゃった人でしょ? マイクからゴンって音が聞こえた時には、笑っちゃったわよ」

東郷には、昨日、壇上に上がった後に記憶がなく、「そうか…皆、大学ニュースを……」とうな垂れた。

「遠野君、人を名指しで笑うのは感心しないな」

「あら?」

 

瑞穂は、背後にいる人物に気付かなかった。  つい先程、学長の椅子を桂樹に譲り渡して来たばかりの、学長、十樹である。

「十……」

「桂樹! 僕は何て事をしてしまったんだ」

 

瑞穂が十樹の名前を呼ぼうとした時、十樹と桂樹を間違えている東郷が、桂樹に扮する十樹に泣きついてきた。学長が学長室にいない事が周囲にバレてしまう危険があった為、十樹は桂樹のフリをしたまま、誤魔化そうとしていた。

「ああ、君は東郷君、昨日は大変だったね。身体に問題はなかったかい?」

「そんな優しい言葉をかけてくれるのは、桂樹くらいだよ。同じ部の連中ときたら、口も利いてくれないんだ――僕達は友達だよね」

――友達?

 

思わず、瑞穂と十樹は目を合わせてしまう。  二人共、桂樹は「ゴキブリが友達じゃなかった(のね)」と言いかけてやめた。

 

東郷が握手を求めてきたので、十樹がそれに答えて手を差し出した。  すると、東郷は除菌ティッシュで、自分と十樹の手を拭くと、ようやく普通の握手を交わした。  潔癖症だという事実を二人は知らない。  その場に何とも言えない異様な空気が流れる。

「そ、それじゃ、私……オレは研究があるから失礼するよ」

「あっ! 私も当番だったんだわ。じゃあね東郷さん」

 二人は、そそくさとその場から去った。