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「桂樹兄さーん、十樹兄さんが呼んでるわよー!」
『ゴキブリ王国』から、遠く離れた所で、亜樹は桂樹に向かって呼んだ。ゴキブリの移動が始まって、何千匹かのゴキブリがガラスケースの中で蠢いている。そんな場にゴキブリ嫌いの亜樹は近寄れなかった。
「亜樹、オレは忙しいと、十樹に言っておいてくれ」
嬉々とした表情で、桂樹は言う。
亜樹は十樹から聞いていた。多分、桂樹は普通に呼んでも『ゴキブリ王国』を優先し、来ないだろう、と。その場合、桂樹にこう言ってくれ、と。
「桂樹兄さーん!新種のゴキブリが入荷したって!」
「何!?」
桂樹はその言葉を聞いて、すぐ様、亜樹の元へ駆け寄った。勿論、これは十樹の考えた嘘であり、新種のゴキブリなど存在しなかったのだが。
「どんなやつ!?どんなやつなんだよ、亜樹」
ずずい、と乗り出して聞いてくる。
「ええっとね、十樹兄さんが、来たら分かるって・・・」
「そうか!きっと『ゴキブリ王国』の為に、誰かがゴキブリを寄付してくれたんだな?オレ行く、すぐ行く!」
頭にハチマキを絞めたまま、桂樹は亜樹を置いて走って研究室へ行ってしまった。
「これで良かったのかしら、十樹兄さん・・・」
亜樹は、ゴキブリ一直線の桂樹を見て、ポツリと呟いた。
☆
「十樹!新種のゴキブリは!?」
桂樹は十樹の不在時に預かっていた視紋チェックを使って、中へ入ってきた。待ちきれない様子の桂樹に、十樹は「やあ」と微笑んで、桂樹に言う。研究室には、大きなダンボールが、何箱も積み上げられ、十樹の元へ行こうとしたが、ダンボールが進路を阻む。
「何だ、コレ」
「必要最低限の荷物を発注したんだが、私がそこを通れなくなってしまってね。悪いが桂樹、そこの荷物を軍事用クローン製造部へ運んでくれないか」
「何でオレが・・・」
「新種のゴキブリ・・・」
その言葉を聞いて、桂樹はっとした。この作業を終えなければ、十樹の手にあるらしい新種のゴキブリに会えないのだと。
「分かった、運んでやる」
桂樹は、自分の身長の半分はあるだろうと思われる、ダンボール箱を持ち上げた。どれだけ重い荷物だろうと思っていたが、案外軽い。
「・・・何が入ってるんだ?」
中身は軽いが、質量は大きいその荷物を持ちながら、「クローン製造部」へと運ぶ。桂樹がそれを運び込むと、十樹が来たと勘違いをした研究員達が、桂樹の周りに寄って来
た。「白石先生、それは何ですか?」
「何か、分からねーけど、十樹が持っていけって・・・」
桂樹がそう言うと、「何だ、弟の方か」と落胆していた。何度も宇宙科学部からクローン製造部を往復して、桂樹が「ふーっ」とダンボールによりかかっていると、ようやく十樹が、最後の荷物を運び入れてきた。
「白石十樹先生だ」
十樹が姿を見せると、わぁと研究員達が集まって、クローンに対する疑問を投げかけてきた。
「白石先生、クローンの成長速度が遅い事に疑念を抱いている者が数名いるのですが・・・このままで大丈夫でしょうか?」
「君達が、ディスク通りに製造しているのなら、大丈夫だと思いますよ」
十樹が、そんな答えを返していると、神埼がやってきた。
「何だ、この荷物は?」
「もうじき、必要になる物だと思いまして」
荷物を胡散臭げに見る神埼に、十樹は言った。
「もうじき?」
「はい」
十樹は、手首の時計を見ながら、秒読みを始めた。
「十、九、八・・・」
「何だ?何を数えている」
神埼は、時計を見る十樹の手を払いのけた。
「神埼先生、何をするんです。世紀の瞬間ですよ」
「何・・・」
十樹は口元で、三、二、一と数えた。
-------次の瞬間。
研究室内部のクローンが一斉に「オギャアオギャア」と泣き始めた。研究員達はその事態に皆驚いた。およそ百体のクローンが同時に誕生したのである。
「午後三時五十分六秒、誕生です」
十樹が時計を見ながらそう言うと、桂樹が「ハッピバースデー♪」と乾いた笑みで赤ん坊の誕生を祝った。
「何だこれは!白石!」
神埼は十樹の襟元を掴んで、事の結果に憤りをみせた。それを、十樹は簡単に払いのけて、服を正した。
「お望み通り、クローンの誕生ですよ。研究の成功おめでとうございます」
「ふざけるなっ!僕は君の妹の様なクローンを感情操作で軍人にしようと、いや、しなければならない身だっ!クローンのこんな姿を望んでいたんじゃないぞっ!」
研究室に響き渡る産声は、研究員達をあたふたさせるには十分だった。それぞれが、自分自身のDNAを持った赤ん坊を泣き止ませそうと「お湯を用意しろ」「ミルクはないのか!」と奔走していた。 十樹は、桂樹と一緒に持って来たダンボールを解く。中に入っていたのは、紙オムツ、粉ミルク、産着等の赤ちゃん製品だった。 神埼は、自分のDNAを持った赤ん坊をポッドから引き取ると、「よーしよし」と慌てて泣き止まそうとしていた。
「神埼と赤ん坊・・・っ」
桂樹は笑うのを堪えていると、神埼は言った。
「笑っている場合じゃないぞっ!ここには「宇宙科学部」の前で拾った髪で造ったクローンもいるんだ!------そう、君達の」
「何?」
その言葉に桂樹は慌てた。
「十樹、オレを見つけてくれ」
十樹は自分のクローンまでいる可能性を考えて、がっくりとうな垂れた。目の前で繰り広がる光景は「軍事用クローン製造部」というよりは、「産婦人科」での光景に他ならなかった。
その二、三日後で、同様な現象が各研究室へ広がり始め、幾何学大学は「育児研究部」と言う、新たな部署を設立した。その「育児研究部」の先頭に立つのが神埼亨である。当人は当たり前のように拒否したのだが、学長が保に言った通り、「責任は全て神埼が持つように」との約束が安易に行われており、神埼はしぶしぶ引き受ける事になった。 そして------
「よーしよし、いい子だ、あばばばばあ」
神埼は、今日も眠ることなく、泣いている赤ん坊をあやしているのだった。周囲に居る者はその姿に笑っていたが、自分のクローンの世話もある為、赤ん坊をあやす神埼を見ている者は少ない。当然、十樹も、その中にいたのだが・・・
「私は、どうも手のかからない子供だったらしい」
十樹は、自分のDNAを持つ子供を、僅かに生えていた毛髪をほんの少し切り、既に探し当てていた。赤ん坊の十樹は、あまり泣く事もなく、ミルクやおむつ替え等をしていれば、そのまま眠ってばかりいる赤ん坊だった。
「これホントにオレ?すごく面倒臭いぞ」
桂樹は、ゴキブリ王国を一時的に放って、自分を育てていた。被せていた布団は足で払いのけてしまい、手近にあるオモチャをがんがんとベビーベットで叩いて壊し、近くを飛んでいる虫を見つければ、手で掴み、口の中に入れようとしたりと目が離せない。
幾何学大学は、ある意味「戦争」状態に陥った。衛星四季との戦争ではなく、研究員VS赤ん坊といった「育児戦争」への突入である。