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「じゃあ、留守を頼むよ、橘君」
「すっかり僕は、留守番担当ですね」
「すまない。いつかこの借りは返すよ」
「いえ、借りは盗聴器の件で十分です。二、三日ゆっくりして来て下さい」
「いや、ゆっくりする暇はないんだ」
十樹は、外出許可を申し出た時の事を思い出した。大学当局は、この時期の外出について、酷く渋っており、何枚かの誓約書や書類を、用意させられた挙句、一日で戻るとの約束を交わして来たのである。これも、「軍事用クローン」の製造に関わっている者として、その情報を外に洩らさない様に、秘密厳守をしているからだと思われた。
「なるべく早く------今晩には帰るよ」
当局への印象が悪くなっては、今後の研究に支障があるかも知れない。十樹はそれをおそれていた。
「十樹、何かお土産買って来てね!」
「そうだね、君達が、きちんとお留守番をしていたら、お土産をあげよう」
カリムとリルにそう言い残すと、十樹達は研究室を出て行く。
「ねぇ、橘、オレ達は大学の外へ出られないのかなぁ」
「どうでしょうね。君達がここの子じゃないとしても、あのお二人なら何とかしてくれそうですね------でも君達は、あの物置にある村から離れてもいいんですか」
「それは絶対ダメ!」
「じゃあ無理ですね」
橘は、そう言って微笑んだ。
☆
「うあー外だぁ」
あの誘拐事件ぶりに外に出た桂樹は、大きく伸びをして外の空気を吸った・・・と思ったら。
何故だか、ラジオ体操を始めた。
「いっちにーさんしっ」
「置いてくぞ」
十樹は、前もって頼んでおいたタクシーに乗り込むと、ラジオ体操をしている桂樹に呆れながら言った。
「あ、おい!ちょっと待てよ」
今にも走り出しそうなタクシーを見て、慌てて乗り込んだ。
亜樹は、くすくす、と笑った。 こうして外に出たことで、亜樹は少し元気になった様だ。しばらく研究室で無口だった亜樹だったが、何かあったとしか思えない言動に、少なからず心配していた十樹は、安心してその笑顔を見ていた。
白石家は、幾何学大学からさ程離れていない山の上の一軒家だ。その思い出の一軒家に、三人で帰る日が来るとは思わなかった。しかし、少し走ったところで、亜樹はガラス越しに車の外を見て、途端、表情が曇った。
その原因は、十樹にも分かった。
十樹と桂樹が幾何学大学に入って、もう十年が経とうとしている。その間に、大学周辺の環境は随分変わってしまったらしい。十樹や桂樹にとっては、当たり前の事として受け止められるが、つい最近、幾何学大学に入ったはずの亜樹にしてみれば、ほんの一ヶ月程度で劇的に変化した街を見て、何も思わないはずはないのだ。
------きっと、もう隠しきれない。
十樹は覚悟していた。
「着きましたよ」
タクシーの運転手は、指定した住所に着いてそう言った。
「ありがとう」
十樹は礼をして車を降りると、ある事実に驚いた。桂樹や亜樹も、同様に目を丸くした。 確かに、あれから十年が経過しているんだという現実に驚いたのである。
春には屋根から洩れる木漏れ日が。 夏には容赦なく照りつける太陽が。 秋には枯葉がカサカサと音を立て。 冬には壁から隙間風が入ってくる。 そんな木造の小さな家だった。
それが、大きく変わっていた。
「ここ、オレの家かよ」
白石と表札のある、その名前を指でなぞって、思わず、そう呟く。 三人の目の前にあるのは、まるで近代の城であるかの様な、大きな大きな豪邸だったのである。
「お帰りなさい」
インターフォンを鳴らす前に、母親が三人を迎えた。年老いてはいたが、昔と変わらない優しい母親の笑顔がそこにあった。
☆
「白石先生方は、今日一日外出しております」
神埼亨が宇宙科学部の十樹の研究室を訪ねると、橘からそんな返事が返ってきた。
「何だって、こんな時に留守にするんだ!今は大事な時期なんだぞ」
「そう言われましても・・・・僕には、どうする事も出来ませんから」
「それなら白石亜樹を出して貰おうか」
「彼女も一緒に外出中です」
そう言ったきり、ふつりと回線が切れて、その後何を聞いても返答がない。橘にとって神崎は危険人物以外の何者でもない。自らの頭に盗聴器を仕掛け、盗聴していた神埼グループに対して、橘は強気な姿勢を見せている様に思えた。白石十樹、桂樹、亜樹の外出は、半分以上神埼のせいに間違いないのだが、神埼自身はその事を知らない。 ブレインにも、白石十樹にも、見捨てられた様に神埼には思えて、神埼はとぼとぼと軍事用クローン製造所に戻りながら考えた。 何も結果を生み出さないままより、何かをして失敗した方が良いじゃないか。
------そう、ブレイン朝日の一言で、あのクローン計画が潰れてしまうのは間違っているのではないか。
神埼は、ある決意をして自分がやるべき事を成す為に、研究室へ戻って行った。
☆
「母さん、これは一体・・・」
豪邸前で呆然となって立ち尽くしていた三人に、母親は声を掛けた。
「さあ、さあ、入って頂戴。ああ、貴方が亜樹さんね。十樹から聞いて・・・」
「母さん!」
滅多に大きな声を出さない十樹に、全員が驚いていた。
「十樹兄さん・・・」
「ああ、亜樹、何でもないよ」
亜樹の事で覚悟を決めたつもりであったが、事の深刻さに、心は往生際悪く足掻いていた。
「十樹・・・中へお入りなさい。父さんも待っているから」
「豪邸っ豪邸、すごいじゃんオレ達の家」
桂樹は、スキップをしながら、庭石を踏んではしゃいでいた。
「桂樹は相変わらずねえ・・・さあ、亜樹さんも中へ」
「------母さん、何故、私に「さん」ってつけるの?この間まで呼び捨てだったのに」
亜樹は違和感に気付いて、母親に疑問を投げかけた。
それを聞いて、母親は十樹に言った。
「十樹、お話してないの?亜樹さんに」
「これから、しようと思っています」
「------そう」
少し沈んだ声が母親から返ってきて、「とにかく入って」と家の中に三人を招き入れた。
☆
吹き抜けの玄関は広々としていて、およそ二十畳はあるだろう、そこで三人は靴を脱いだ。母親に促されるまま、客間に通され、大きなソファに座った父親と再会した。
「ご無沙汰しております。父さん」
「親父、久しぶり」
「こんにちは、父さん」
各々が挨拶をすると、父親は亜樹をまるで信じられないものを見たかの様な目で見つめた。
「亜樹・・・?」
「どうかした?父さん」
「いや、何でもない。ちょっと十樹だけ来なさい」
「はい」
父親は、十樹を別の部屋に移動させると、突然、十樹の頬を殴った。その衝撃で、十樹は床に倒れこんだ。
「お前の幾何学大学の噂は、私も良く知っている。しかし、十樹、お前のしていることは死者への冒涜だ!」
「--------・・」
「亜樹は、あの子は、あの日に死んだ!いくらお前がそっくりの造り物を造った所で、亜樹は帰っては来ない!帰って来ないんだぞ!」
「はい」
十樹は、それを全て承知の上で、亜樹のクローンを造ったのだ。父親の言う事は尤もだと思う。
「十樹・・・お前の連れて来たクローンは、自分がクローンである事を知っているのか」
「これから話すつもりです。父さんの言う通り、亜樹は造り物になってしまったかも知れません。ただ、私が造ったクローンには心があります。それをぞんざいにする訳にもいきません」
十樹は真っ直ぐに父親を見て言う。
「亜樹は、この家の記憶を持ったクローンです」
父親は十樹を見つめ返して、ふらりと倒れるかの様に、背後にあるソファに沈み込んだ。
そして言った。
「あの子が死んだ時のことだ。私は、酷く絶望した。このまま一緒に、亜樹の元へ逝ってしまおうかとも思った。ずっと暗く長いトンネルを潜っている様な毎日だった」
「・・・・・」
「正直、亜樹の成長した姿を見られて嬉しかった。十樹・・・お前のやった事は許されない。
決して、許されることではない・・・・だが、どうしてだ。私はこんなに・・・」
父親は複雑な胸の内を口にした。
「十樹-------ありがとう」
「------・・・」
片腕で瞳を覆い、上を向いた父親の瞳から、一滴の涙が流れ落ちるのを十樹は見た。