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白石十樹が、DNAデータを照合し、千葉祥の経歴と「青山羊荘」と言う名の施設を見つけたのは、そんな時だった。
「青山羊荘・・・」
十樹は、どこかで聞いた事のある施設の名を口にすると、大学警察が横から口を出してきた。
「ああ、その施設は何らかの形で両親を亡くしたか、捨て子を養育する、所謂孤児院ですね」
「この千葉祥の遺体引受人は、この孤児院で良さそうですね」
「そうですね、いや白石先生お疲れ様でした。後の始末は我々がしておきますから、研究所に戻って仮眠を取って下さい」
「ありがとう、そうします」
「我々が必要な時には、いつでも呼びつけて下さい。協力は惜しみませんから」
大学警察のそんな一言を聞いて、事務所を出た。時計は午前五時をさしていたが、外はまだ薄暗くまるで真冬の様だ。大学の設備のおかげで、この幾何学大学内の温度は二十度に保たれているが、時間の感覚が狂うのはどうにもならない事だった。現に、朝五時という、まだ活動時間には早い時間に、大勢の研究員達がロビーを行きかいしている。 十樹は、一つ大きく伸びをすると、四日ぶりの地上の空気にほっと一息をついた。大学警察の署内は暗く狭い空間だったからだ。
-------それにしても、と十樹は思う。
今回の事件で、千葉祥は結果的に幼くして死亡した亜樹の敵討ちをしてくれた事になる。 しかし十樹は、こんな形ではなく学長代理は生きた形で罪を反省し、刑務所の中で裁かれるべきであったと思うのだ。そんな事を思いながら、研究室に向かい、幾何学大学内を歩いていると。
「------ゴキブリ王国・・・」
十樹とのすれ違い様、一人の生徒がぼそり、と呟いた。その言葉に反応するかの様に、周囲を歩いていた数人が十樹の顔を、ちらりと見た。
「は?」
何やら異様な空気が流れたが、十樹は何も分からないまま研究室についた。
☆
宇宙科学部の研究室に入ると、暇を持て余していたカリムとリルが皆を巻き込んで、まくら投げならぬ、クッション投げをしていた。 橘や亜樹は仕方なく付き合っていた様だが、桂樹は嬉々としてクッション投げに参加していた。桂樹は全てのクッションを重ねて、頭の上に乗せると。
「ふわははははっ、このクッションが目に入らんか」
とクッションを独占して、背の届かないカリムとリルに「ずるいぞーっ」と拳を挙げる二人に怒られている。
「橘、桂樹のクッションとって------!」
「はいはい、あ、お帰りなさい」
橘が、まず最初に十樹に気づき声をかけてきた。
「ただいま・・・これは一体・・・」
研究室は、クッションの羽が散り、クッション投げの被害に合ったのであろう本や資料が所々に散らばっていた。
「あ、十樹兄さん、すぐ片付けるわね」
「えーもう終わりなのー?」
亜樹が手近にあるものを片付け始めると、橘もそれに従った。桂樹はクッションを頭に乗せたまま、バランスを取って歩いている。
「私が不在の中、何か変わったことはなかったか?」
「--------っ」
ぎくり、と皆一度、時が止まったかの様に硬直して動かなかった。只一人、普通でいたのは桂樹だ。
「何も無かったぜ」
桂樹はそう言うと、部屋のソファにクッションを並べ始めた。
「そうか・・・私は少し仮眠を取る。しばらく寝てなかったんだ」
「おやすみー」
皆はその姿を見送る。十樹は研究室の奥にある自室へ行こうとした時。
「あ、十樹、学長代理の件だが、オレが上手くやっといたから」
桂樹の言い様に、すっかりその事を忘れていた十樹は桂樹に聞いた。
「------で、結局、学長代理は神埼に-------」
「ならなかった。オレうまくやっといたって言っただろ?」
「ゴキブリ王国・・・」
カリムの呟きに桂樹は、げっと声を出し、その声を塞ぐ。 十樹は、先程もすれ違い様に聞いたその言葉に眉を潜めた。
「ゴキブリ王国・・・?桂樹、お前、まさかまた・・」
「何だよ。十樹だってオレの名前使ってたじゃないか!」
「それは緊急事態の時だけだ」
「オレだって、そう言う時だけだ!」
桂樹としては、全てが丸く収まる様に行動したつもりだった。現に、学長代理の席は未だ空席で、適任となる人物は不在のままだ。そう、自身のゴキブリを守る為にも、この研究室をあけわたす人物をつくってはならない。
「-------で、ゴキブリ王国と言うのは、どういう意味だ」
桂樹は、十樹に拳骨をくらい、部屋の端でいじけていたので、カリムが変わりに説明をした。 その説明に一瞬冷静さを見失いそうになったが、ぐっと堪えていると、桂樹が「結果オーライ」と小声で言っているのを聞いて、十樹はもう一発殴った。
「このアホはどうにかならないのか!」
研究室に辿りつくまでの空気が、道理で悪いはずだと、十樹は橘が入れたコーヒーを飲みながら納得していた。
「オレは十樹に謝らないからなっ!大体、何も言わずに四日も研究室を開けてる十樹が悪い・・・」
「私は大学警察で、きちんと仕事をしてきたんだよ」
「オレだって選挙に出て・・・」
「出て?」
十樹の威圧感を少なからず感じて、桂樹は「なんでもないです」と小声で十樹に言った。
「いつか宇宙を飛ぶゴキブリをつくってやる」
そんな言葉と同時に研究室の電話が鳴った。 着信番号を見るからに、理事室からだ。 例のスピーチの一件だろうか。
十樹は、半ば覚悟を決めて、その電話に出た。
「はい。宇宙科学部の白石です」
「学長だ。君に頼みたい事があるのだが・・・」
電話をかけて来た相手が学長だと知り驚いた。まさか、学長直々に電話をかけてくるとは思わなかったからだ。
「君の先日のスピーチは聞かせてもらった」
「・・・はい」
桂樹の犯した過ちを弾劾するために電話をかけて来たのか------少なくとも、十樹はそう思っていた。
「会議室で議員達と話しをしていたんだが・・・一部が言うには、君が宇宙の研究を続けたくて、あんな発言をしたのではないかと」
「は?」
「君が学長代理という席に座りたくない事は、周知の上だ」
学長は桂樹の本気のスピーチを、誤解して受け取った様だ。これは不幸中の幸いか。
「それで、私達は近々訪れるだろう「四季」との紛争の為、新たに『軍事用クローン製造部』を設立する事になった」
嫌な予感がした。
「どうして、そのお話を私になさるんですか」
「君と同様の話を神埼亨にした。彼の強い推薦があってね」
-------やっぱり神埼か------
耳をそば立てて聞いていた桂樹は、十樹と互いの顔を見合わせた。
「宇宙科学部と軍事用クローン製造部を、それぞれ兼任してもいい。それで君は、学長代理という椅子に座らずにすむ。君にとって悪い話ではないと思うのだが・・・あと」
一拍置いて学長は続けた。
「君の我侭を叶えようじゃないか」
「我侭?」
「『ゴキブリ王国』だよ。先日君が話した。」
その言葉に十樹はただ驚き、桂樹は、きらきらと目を輝かせて十樹から受話器を奪い取った。
「はいっ!是非その話、引き受けさせて下さいっ!」
学長は電話の相手が変わった事に気付かず、桂樹に言った。
「君のいい返事が聞けてよかった」
学長は、はははっと笑うと、軍事用クローン製造部の開部式の日取りや日時を言って電話を切った。
「良かったな、十樹。学長代理の椅子は空いたままだ」
「お前は--------!」
『ゴキブリ王国』と引き換えに、自分のポリシーを曲げかねない、新しい部署に配属しなければならない自身を呪う。 結局、十樹は神埼の思惑通り、クローンの製造を担当する事になったのである。