Now Loading...
「リルちゃんをここに座らせて」
「はい」
一見、リラックスチェアにも見える、黒い皮の椅子に、神埼はリルを座らせた。
「リル・・・?」
カリムの服を、ぎゅっと握って、なかなか離そうとしないリルは、小刻みに震えていた。
「リル、どうなっちゃうのかなぁ」
リルは、カリムに問う。
「どうもならないよ・・・元に戻るだけだ」
「元のリル・・・?」
「そうだよ」
この椅子で、何か怖いことでもあったのか・・・カリムはそう思わざるを得なかった。 自分が実力者で、もっと大きく強かったら、神埼を殴り倒してやるのにと、カリムは思う。
そんなカリムとは裏腹に、神埼は、フンフーンと鼻歌を歌いながら、部屋の奥からガラス状の記憶(メモリー)を手に持ってきた。 カリムは、神埼の手にした記憶(メモリー)を見て、リルの手をぐいっと引っ張り椅子から立たせた。
「リルは、この椅子に座るのが嫌みたいです」
衝動的にカリムが神埼が持っているメモリーを奪い取ると、研究室の出口に向かって走り出す。無理な力で、メモリーを奪われた神埼は、痛そうに手を押さえた。
「カリムくん・・・どうしたんだ」
「十樹の研究は、十樹のものだ!」
ほら、リル早く、と手を引っ張り、神埼の研究室から出ていこうとする。
「待てっ!」
神埼が、慌ててそれを追いかけ研究室を出た。 すると、外で待ち構えていた、十樹と桂樹にぶつかった。
「お前たち・・・!」
「うちの子供たちが面倒をかけたみたいで」
「どう言う事だ?カリムくん」
カリムは、十樹と桂樹の後ろに隠れ、リルを神埼の視線から隠すように立っていた。
「どう言う事と言うのは・・・それはこちらの台詞ですが」
十樹の手には、カリムから手渡されたリルのメモリーがしっかり握られている。
「メモリーは、壊れていない様ですね」
「カリムくん、君との約束だ。そのディスクを渡して貰おう」
きっと口を噛み締めて、神埼をカリムは睨みつけていた。
「いいよ。カリム、ディスクを神埼に渡しなさい」
「えっ!?でも十樹の研究が」
意外な言葉に、カリムが驚く。
「十樹がいいと言ってるんだ。渡せ」
桂樹は、そう言うと、カリムの手にあったディスクを取り上げ、神埼に向かって放り投げた。
「ほらよっ」
桂樹の投げたディスクは、綺麗な放物線を描いて、神埼の元に渡った。
「随分、理解があるじゃないか」
「こっちも随分、勉強させられたからな」
恐らく、十樹や桂樹の研究資料に対しての懸賞金を出していたのは、神埼家だろうと推測する。このディスク一枚で諦めてくれるのなら、安いものだ。
「いっいいんですか?それは」
「十樹とオレがいいと言ってるんだ。カリムは気にするな」
桂樹は、カリムの肩をぽんっと叩いて笑った。
「さぁ、帰ってリルちゃんの記憶を戻そう、そうしよう」
やけに明るく桂樹が三人を押して、神埼の元から立ち去ろうとする。すると、十樹が神埼に言った。
「そのディスクは、暗号化されている。私と同程度の知識があれば、二十時間もあれば、パスワードは解けるだろう」
「何っ!?」
「解けない場合は、それまでだ。二度と私の研究に首を突っ込まないで頂きたい」
「失礼なもの言いだね。君の造ったものぐらい簡単に解読してみせるさ」
神埼は、そう毒づいて自らの研究室へ戻っていった。
「カリムは、また無茶をして・・・別に良かったんだよ」
「だって、あいつの言いなりになりたくなかったんだ・・・それで、あの、リルはちゃんと元通りになりますか?」
カリムは、隣を歩く十樹を見上げて心配そうに問う。
「大丈夫だよ。記憶(メモリー)が本物ならね」
言いながら、神埼から奪ったメモリーをガラスケースに収める。
「よかった・・・ありがとうございます」
「その台詞は、リルちゃんが元に戻ってからにしようか-----ところで桂樹」
「何だ」
「先刻から、何をにやにやしてるんだ・・・気持ち悪いんだが」
☆
翌日、生体医学部の研究室で、神埼は早速、研究所の自らの部屋に備え付けてあるコンピューターにディスクを入れて、暗号解読を始めた。千四十五文字もの列のある数字を並び替え、単語をつくり入り替え、意味のあるワードを構成していく。普通のものなら、まず考えることもない、一見したらただの数字だ。しかし、神埼は、あらゆるパターンを考えパズルの様に解いていく。
「-----なんだ、思ったより簡単じゃないか」
コンピューターから、ピッと音が鳴った時、パスワードを入力する画面が現れた。数字の意味が分からない者は、ここから進めない仕様だ。
「パスワード・・・K、A、T、U・・・『カツドン』」
-----カツ丼?
『認証確認、次のパスワードを解いて下さい。』
画面にそう表示され、また同じく千四十五文字の数列が並ぶ。
「なんだ、これで終わりじゃないのか」
千四十五文字もの暗号文を解くのに、一時間は要した神埼は、ちっと舌打ちをした。
------そして、また一時間後、あるワードが浮かんできた。
「パスワード・・・『牛丼』」
『認証確認、次のパスワードを解いて下さい』
「・・・・これは、本当に白石十樹の考えた暗号なのか?」
神埼は、知性の感じられないパスワードに、疑わしい目つきでモニターを見つめた。 そして三つ目のパスワード画面が現れた。
「パスワード・・・『親子丼』」
白石十樹は、自分を舐めているんじゃないだろうか。神埼は、怒りに任せて、ばんっと机を叩いた。
「あ、あの・・・神崎先生、ご注文の品を持ってきましたが」
机をばんばん叩いていた神崎を、心配そうに見ていた研究生が、トレイに「カツ丼」と「牛丼」と「親子丼」を持ち、神埼の机に並べた。
「・・・・・・・・・・・僕は、頼んでないよ」
「えっ?でもさっきからおっしゃって・・・お腹が空いてられるのでは・・・」
「・・・・・」
どうも、パスワードを音声認識にしておいたせいで、アナウンスが研究室に流れ、誤解が生まれたらしい。神埼は、頭が痛くなってきた。
「ありがとう、食べるよ」
「そうですか」
研究生が、ほっとした笑顔になって、一礼して部屋を出て行った。それを見送って、神埼がアナウンスを切り、自室に鍵をかけたのは言うまでもない。
「くそっ」
こうして神埼は、カツ丼と牛丼と親子丼を一気に平らげるはめになったのである。
☆
「天丼、イクラ丼、ウニ丼、カレー丼、海鮮丼・・・・」
神埼は、数々の丼と名のつくパスワードを入力していた。もう十時間もデスクのモニターとにらみ合いをしている。しかし------。
白石十樹は、二十時間で開けると言っていた。一つのパスワードにつき一時間ということは、まだ十時間もこの数字と向き合うことになるのか? 神埼は、前髪を掻き毟り、再びモニターに向かい合った。
☆
「リルちゃん、このソファに寝転んでくれるかな」
リルは、その言葉に素直に従って、ソファに身体を倒すと、十樹はリルの頭にバンドのようなものをつけた。部屋の奥からガチャガチャと音を立て、モニターのついた医療器具を持ち出してくる。
「何するの?」
リルが、十樹に不安気に聞く。
「リル・・・この人達は大丈夫だから」
カリムはそう言って、リルの手を包み込むように握った。するとリルは、十樹や桂樹が、記憶再生の為の機材を準備している間に、眠ってしまった。
「リルらしいなぁ」
不安を口にしながらも、あっさりと寝てしまうリルに、カリムは笑った。
「丁度良い、今の内にリルの記憶を戻してしまおう」
十樹は、記憶(メモリー)を機材の中に入れて、リルのつけているバンドの中央にある石に信号を送った。そして、画面に出たエラーコードを一つ一つ消去していった。
「眠っているから、恐らく記憶が混乱することはないと思うが」
「リル・・・」
カリムは無事を祈りながら、リルの意識が戻るのを待った。
そして、十五分後、その作業は終わった。
「カリム・・・もうリルを起こしてもいいよ」
カリムは首を振った。
「リルは、きっと色々あって疲れてるんだ。自然に目が覚めるのを待ちます」
「まあ、それもいいだろう」
十樹はそう言うと、桂樹と共に機材を片付け始めた。
「なぁ十樹」
桂樹は白衣のポケットを探りながら、十樹に話かけた。
「何だ?」
「これ、十樹に返しとく」
桂樹は一枚のディスクを十樹に渡した。それは、先程、神埼に渡したはずのディスクだった。
「桂樹、お前・・・まさか」
ディスクを十樹に手渡すと、台詞を言い終えないうちに、背を向けて自室へと戻っていってしまった。