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その夜、カリムは皆が寝静まるのを待って、亜樹が眠っていた第四研究室にあった机の引き出しを探っていた。暗闇の中、カリムはこの世界に持ち込んだ懐中電灯を手にした。神埼の言っていたクローンの情報が、ここにあるのではないかと推測したからだ。
しかし、何故かそれらの情報の痕跡すら見つからない。そこで部屋に設置してるパソコンの電源を入れてみた。ところがパソコンを起動させる為のパスワードが分からず、カリムはため息をつきながら、あてずっぽうでパスワードを入力し始めた。
一番最初に入力したのは、このクローンの研究者である十樹の名だ。
「トージュ・シライシ」
すると、ピっと鈍った音を立てて、「パスワードエラー」の画面が表示された。
(こんな簡単な、パスワードな訳ないか・・)
一端諦めて、また明日にでも出直そうと振り返ったその時------
「こんな所で何をやってるんだ?」
目の前に現れたのは、懐中電灯を片手に持った桂樹だった。
「うわああっ!」
照らされた桂樹の顔が、お化けの様にカリムには映って、思わず椅子から転落してしまう。 部屋の入り口にいた十樹が明かりをつけた。
「・・・起きてたんだ」
すぐに平静を取り戻したカリムは、床にあぐらをかいて言った。
「何をしていた?」
「別に何でもないです」
「嘘をついても分かるよ。君につけていた発信機には、盗聴機能を兼ねているものだ。さっきの神埼と君の会話も、私達は聞いている」
「・・・・・」
カリムは返す言葉を忘れた。言い訳をする気にもならず、自分にも呆れて、がくんと肩を落した。
「もう、・・・・煮るなり焼くなり好きにして下さい」
「カリム・・・私達は君を責めるつもりはない。しょうがない事だと思っているよ」
十樹は、カリムの肩に手を置いた。
「僕は・・・どうしたらいいんでしょうか?」
力なく、頼るものが何もないような弱い声で十樹に言う。
「これを持って行きなさい」
十樹は、白衣のポケットに入れていた一枚のコンパクト・ディスクを取り出し、カリムに渡した。
「神埼の欲しがっていた、クローンのデータだよ」
「えっ!?これ・・・いいんですか?」
「リルちゃんの記憶を取り戻すのが先決だ」
「お、おい十樹、良いのかよ!?」
桂樹は、大事なデータをあっさりと敵に渡そうとする十樹を信じられない面持ちで見た。
「桂樹、いいんだよ」
「しかし、それを渡したら神埼の野郎が、
クローンをうじゃうじゃ造ってしまうんじゃ・・・」
「それは、どうだろうな」
十樹は、桂樹に笑顔を返した。
「分かった、十樹、リルちゃんの為だもんな、それならオレも」
桂樹は、自室に戻って、一枚のデータを持ってきた。桂樹のゴキブリ化粧品関連のデータである。
「これも神埼に・・・」
「それ、いらないと思うから」
十樹とカリム、二人同時にそう答えた。
☆
-----クローン?クローンって何の事かしら?
真夜中に人が動いている気配で目が覚めた亜樹が、研究室で交わされた十樹や桂樹の言葉に疑問を抱いた。
人工知能で育てられた亜樹は、事故以来の記憶が十樹に造られた記憶であるため、自らがクローンであると言う自覚がないのだ。
(そういえば、私、・・・私ってこんな大きな手をしていたかしら?)
そして、十樹や桂樹の姿も例外ではなく。自らの記憶の曖昧さに、亜樹は戸惑う。 兄達は、どうして自分を研究所に呼んだのか。
『亜樹さんは強いですね・・・実験体なのに』
昼間の橘の声がリフレインする。
そして、夢の記憶-----
(あの夢は何だったの?)
今も鮮明に思い出せる、エア・カーが迫って来る夢・・・最後の記憶。
(私には、あのエア・カーを運転している男の顔すら思い出せるのに)
亜樹は、ふるふると顔を振った。
(------これは、あまり考えてはいけないんだわ)
亜樹は息をついて思考を停止させると、自室に戻って、再び眠りについた。
☆
「おはようございます」
「おはよう」
橘の声で皆目覚めてみれば、研究室の真ん中ビニールシートが敷いてあり、朝食が用意してあった。まるで、ピクニックのようである。
「これだけの大所帯じゃ、食堂へ行くよりこちらの方が良いのではないかと思いまして、宅配サービスを頼んでみました」
皆が驚く中、橘は照れ笑いをした。
「これ、伝票です」
ひらり、と一枚の紙が、十樹の手に渡される。 請求された金額を見たら、想定外の高さに、十樹は目を丸くした。桂樹が、十樹の背後から覗きこんで言った。
「橘!お前これ誰がこんな金額払うんだよっ!」
桂樹のポケットマネーでは、到底払えない金額だ。
「桂樹、それは貧乏なお前の言い訳だ-----仕方ない私が-----」
「僕が払っておきましたけど・・・・皆さんに食べて頂きたくて」
えへへ・・・、と照れながら橘が言う。
思えば、橘の家庭は、頭に仕掛けられた盗聴器の恩恵あって、裕福であった事を思い出す。
「宅配サービスって安くて便利ですね。この程度の金額なら、この人数ですし、しばらくの間こうした方が・・・」
一同、橘の言葉を聞いて、桂樹は金銭感覚が違う・・・と呟き、
「橘、オレ達仲良くしようなっ!」
と橘と固い握手を交わした。 それを、十樹は呆れながら見る。
「それで、カリムはこれからどうするんだい?」
高級サンドイッチを手にしながら、そう聞いた。
「決まってます。昨夜のデータを持って、神埼の所に行きます」
「そうか」
思った通りのカリムの返事に、十樹は頷いた。
「そのデータを持って行く際、必ずリルちゃんの記憶を先に返して貰いなさい。そして、私のデータを、私の了解なしに持ってきたものだと、神埼に伝えることを忘れないで欲しい」
「はい」
「いざと言う時には、私達が出て行くから」
十樹はそう言うと、カリムとリルの両方に、発信機をつけた。当然、つけるのを拒否するべきものなのに、カリムは、逆に安心した。
------これで、二人に嘘をつかなくても良い。
そう思うと、気持ちが軽くなった。
「ねぇ、リル、どうしてここにいるのかなぁ?」
何も知らないリルが、あどけない表情でカリムに聞く。
「もう大丈夫だよ。リルの記憶は絶対に取り戻してみせるから」
カリムは、リルの手をぎゅっと握った。
☆
カリムとリルは、入り組んだ道を通って、神埼の研究室の前に立ち、インターフォンを押した。
『私の了解なしに持ってきたものだと言うことを-----』
カリムは、十樹から言われたことを反芻しながら、出て来た神埼を見た。
「お約束のものです」
「やあ、ご苦労だね」
神埼にディスクを渡す手前で、カリムはすっと手を引いた。神埼が訝しげにカリムを見る。
「その前に、リルを元に戻して下さい」
先日、リルの記憶(メモリー)は、実は神埼の摩り替えたダミーで、本物は別にあるのだと聞いていた。
「いいだろう。約束通り、リルちゃんの記憶を戻してあげるよ」
神埼は、研究室の入るよう、カリムとリルを促した。
「そのディスクは、どうやって手に入れた?」
「白石十樹の寝室にあったものです。盗んで来ました」
十樹の言う通り、許可なく持って来たのだとカリムは神埼に伝えた。神埼は、ふぅん、と面白くなさそうに相槌を打った。
「まぁいい、君のおかげで案外あっけなく手に入りそうだ------白石十樹の知識が」
その言葉に、カリムはぴくりと反応した。
「貴方が研究者であるのなら、研究者としてのプライドは無いんですか?」
「君達が思っている程、ここ、幾何学大学は甘いところではないんだよ」
神埼は、自分の父が、どれほど汚い手段を使って、今の地位についたのかを知っている。 今、神埼亨がこうして生体医学のリーダーと言う地位を築いたことすら、裏で何億もの金が動いていたのかを知っている。父は、尊敬出来る様な教授ではないが、息子として、それ相応の恩返しをしなければならない義務がある。
今はまだ、その父親が神埼にとって大きな足かせになることを神埼亨は知る由もなかった