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「桂樹、遅いねぇ」
「どこに行ったんだよ、あいつ」
リルとゼンは、退屈そうにソファで、ごろごろしている。
その時、研究室のインターフォンが鳴った。
「きっと桂樹だぁ」
子供たちが、待っていたかのように、扉の前に集まった。奥の部屋から、十樹が第四研究室のドアをパタンと閉めて出てきた。 十樹が、コントロールパネルのボタンを押して、研究室のドアを開けようとした。が、寸での所で押すのをやめた。訪問者は、桂樹ではなかったのだ。
「はい白石です」
十樹は、無難にそう言うと、扉の前にいる人物を確かめるために、カメラのアングルを変えた。
知らない人物だ。
立っていたのは、一見穏やかそうな、気の優しそうな青年であり、物腰の柔らかそうな人物だった。
「あ、僕は橘サトルと申します。今日から、こちらの助手を勤めさせていただきます」
「助手?」
十樹は、先月行われた、理事会を思い出した。 本当であるなら、助手は十樹たちにとって必要ではなかったが、閉鎖的な研究室は、どこからか流れ出す噂によって、追い詰められる寸前だ。その監査の目を誤魔化す為、一名だけ助手を研究室に着任させるよう、お願いしていたのであった。子供たちや、その他の騒動で、すっかり忘却の彼方におきざりにしてしまっていた己を叱咤して、十樹は研究室の扉を開けた。
「すまない。入ってくれ」
シュンと扉の開く音と、同時に『盗聴電波確認』と、いつもの警報音が鳴った。
「あ、あの」
橘は、予想外の出来事に慌てる。
「ちょっと、白衣を脱いでくれないか?」
「・・・・はい」
その時、きゅうん、と橘の持っていた紙袋から、犬の鳴き声がした。それを不思議に思いながら、十樹は、橘の白衣を逆さまにしてバサバサと振る。すると、複数の盗聴器が床に落ちた。
「え・・・?これ僕は・・・」
オロオロする橘に、十樹は一つ一つ盗聴チップを潰しながら言った。
「別に君を疑っている訳じゃない。この研究室は、各所から狙われている。今後、こうして入室してくれないか?・・・・・ところで、その 紙袋の中身は?」
「あ、すみません。畜産科で、犬が、沢山生まれたそうで」
貰って来ちゃったんです。と橘は笑顔で、十樹に子犬を差し出した。
「わぁ、犬だ」
「かわいい、リルが名前つけるー」
「ちっけぇな」
子供たちが、素直な感想を口にする。
しかし、十樹の気持ちは複雑だった。 つまり、この研究室には、桂樹、子供、犬、橘、亜樹が、これから一緒に住んでいく訳だ。 随分と大所帯になったものだな、と十樹は嘆息した。
「白石先生、この子供たちは一体・・・?」
「橘くん、この研究室に加わった以上、秘密にして欲しいことがあるんだ。それが出来なければ、助手を辞めて貰うことになる」
「僕は口が固い方だと自負しています。決して外部に秘密を漏らさないように気をつけます」
橘は、この研究室に来る前に、様々な科に立ち寄り、挨拶をして来たといった。盗聴器は、その際に入れられたものだろう。各学科から、という橘の言葉に、十樹は嫌な予感に襲われた。先日、嫌な噂を食堂で聞いたからだ。それは、この研究室の情報を得た者に、懸賞金が出るという噂だ。その時は、ただの噂だと 聞き流した十樹だったが、橘のおまけでついてきた、盗聴器の数を思うと、その噂が本当のことであるということを物語っている。
-----これは、もう時間の問題だと思わざるを得ない。
一刻も早く、亜樹を目覚めさせなければならない。そして、メインコンピューターに、亜樹の大学での住民登録をしなければ、違法クローン体として、処分されてしまう恐れがあるのだ。
「橘くん、研究室の内部を案内するが、そこで君は見てはいけないものを見てしまうだろう。けれど、決して、その事を口外しないでくれ」
十樹は、受け取った犬をそっと抱き、研究室の内部を案内していった。
☆
その頃、桂樹はジム・カインの家を出て、帰路についていた。
桂樹は迷っていた。記憶操作され、幸せそうに生活している。この現状を、どうしてゼンに話せるというのだ。 早く、研究室に帰って、十樹と話し合いをしなければならない。
特別病棟から出て、格子の扉に鍵をかけると、トイレで患者の服を脱ぎ、白衣に着替えなおした。
その時、一番会いたくない人物が、偶然トイレに入ってきた。神埼亨だ。桂樹は、トイレの個室に篭ったまま、神埼が出て行くのを待った。すると、神埼の携帯が鳴り、誰とも知れない相手と話をしている。
「貴方が、我々に協力してくれたおかげで、上手くいきそうです」
神埼は、電話の向こうの相手にそう言って笑った。
「-----まさか、あれは気づかれないでしょう。彼らを、倫理委員会に突き出すのは、僕と貴方です」
-----彼ら?
桂樹は、扉越しに聞き耳を立てながら、その会話を聞いた。
「ええ、勿論、懸賞金は出しますよ。それでは」
-----懸賞金?
桂樹は、嫌な予感がした。神埼が、彼らと形容する人物は、もしかして、自分たちのことではないだろうか。 日頃の神埼の様子を見ていれば、当然のことの様に思えるが、私と貴方ということは、少なくとも敵は二人居るってことだ。
神埼は、携帯を切った後、手だけ洗ってトイレから出て行った。
-----そういえば、今日から新しく助手が宇宙科学部の研究室に配属されているはずだ。盗聴器のチェックは、研究室のシステムが故障しない限り、作動しているはずだ。まさか、そんな筈は。と桂樹は、首をかしげた。
仮に、神埼が倫理委員会に訴えかけをした所で、最悪の場合、盗聴器という裁判には通用しない証拠を出してきた神埼を、同じ倫理委員会で裁くことだって出来るのだ。 -----お互い、不利な情報だってのに----どうする気だ。
十樹も桂樹も闘う体制は整っている。この特殊病棟の責任者が、神埼の率いる「神埼チーム」が造ったものであれば尚更の事。研究室で問題を起こしている罪人を大人しくさせる為だといえ、日常的に記憶操作をしている事実が明らかになれば、幾何学大学は大騒ぎになるだろう。その場合、この特殊病棟に無断で入ったことで、十樹も桂樹も、そして、瑞穂も、ただでは済まないかも知れないが。
桂樹は、そんなことを悶々と考えている内に、宇宙科学部の研究室についてしまった。
☆
インターフォンが鳴る。
「あ、桂樹だ。帰ってきたー」
真っ先に、リルが桂樹を出迎えた。見知らぬ助手らしい新人もいる。皆、新人をそっちのけにして、何故かいる犬を可愛がっていた。
「桂樹!今、この子に名前をつけようって話してたの。桂樹は何て名前がいいと思う?」
まだ生後間もない犬は、桂樹に向かって、プンプンと尻尾を振っていた。小さなピンクのリボンがついた首輪をして、ビー玉の様な目を桂樹に向けた。
「犬」
「それ名前じゃないよ-----真剣に考えて」
「どうしたんだ。この犬は」
「橘が、もらってきたの!キクサンカって所から」
「リル・・・畜産科だよ」
カリムが、リルをフォローして言った。
「畜産科?」
桂樹は、訝しげに橘を見た。先程の神埼の言葉を間に受けるなら、この一見、平穏そうな新人は実はスパイなのかも知れない。
「おい、犬をこっちによこせ」
橘が桂樹に挨拶をしようと、「あの・・・」といいかけた時、それを無視してカリムから犬を取り上げた。もしかしたら、首輪に盗聴器がついているんじゃないかと危惧しての行動である。犬の首輪を取り、散々チェックをして、さらに犬をくるくると回して、盗聴器がないことを調べた。
「いって!」
怒った犬が、桂樹の指を噛んだので、犬は床に投げ出された。
「もー、何やってんの桂樹」
「あの・・・」
ようやく橘が隙を見て、桂樹に自己紹介をした。
「橘サトルです。まだまだ分からない事ばかりですが、色々覚えたいと思います。宜しくお願いします」
そんな挨拶を聞き流して、桂樹は別のことを考えていた。盗聴センサーが反応していないということは、さっきの会話は、他の研究室の事なのか。この温厚そうな橘とやらは、スパイではないのか。
-----いずれにしても、要注意人物と見るべきだろうが、この男は、隙だらけで警戒心のかけらもない。
「犬の名前は花子だ。花子」
「ええーーー!。桂樹センスなーい」
「もうちょっと、いい名前ないのかよ」
子供たちは、桂樹がつけた名前にクレームをつけながら、ああでもないこうでもないと、 話合っている。
「僕は、いいと思いますよ。花子」
橘は、朗らかに笑いながら、犬、花子を抱き上げた。
「ええーーー、橘はそれでいいの?」
「いいんじゃないかな」
まだ、ここに橘が来て、間もないというのに、子供たちはすっかりなじんでいる。順応力があるというか。しかし、この青年には、きっと裏があるに違いない。
「十樹、話がある」
「ああ、私も相談したいことがあるよ」
「橘とやら、少し子供たちの面倒を見ていてくれるか?」
「あ、はい、分かりました」
そうして、十樹と桂樹の二人は、ある部屋へと入って行った。その様子を見て、ゼンは「うげっ」と声をあげた。
「今の部屋って・・・」
「どうしたの?ゼン」
顔を青くしたゼンは、気遣うリルになんでもない。と答えた。
「橘は、よく平気だったなぁ」
「そうでもありませんよ。まぁ、一風変わった趣味をお持ちだな、とは思いますが」