Now Loading...
『わぁ、すごい兄様! とってもお強いのね』
幼い少女は自分よりも年長の少年に向け、手を叩く。
青々とした若葉が芽吹き、新緑の緑が眩しい季節。 二人は内緒で宮を飛び出し、幼少同士の可愛い逢引を重ねていた。
『本当にすごいわ。これだったら、天照大神の用心棒だって夢じゃないわ』
少年は得意の剣術を披露し、照れくさそうに頭を掻く。
そんな少年に、少女は後ろに隠していた花冠を差し出した。
『いつも頑張っている兄様に、私からご褒美。頭につけてあげる』
背が低い少女は、まだ少年の頭に手が届かない。
少年は屈んで花冠をつけてもらった。
『あのね、このお花、あそこの花畑にある花で作ったのよ。案内してあげる』
少女は少年の手をとり、駆けていく。
後にその花畑は、二人のお気に入りの場所となった。
――いつまでも、いつまでも、そんな日々が続くと思っていた。 けれど、あなたの目には、別の人が映るようになった。
二人が大きくなって、青年と女性になった時。 いつしか、青年は神無月に訪れる女性を見つめるようになった。
青年の見つめる女性は、白い髪を持つ、綺麗な人だ。 その女性は最も親しい友人だった。
――兄様、どうして私を見てくださらない。私はいつも、兄様のお側にいるのに。
どうして、どうして……。
遠ざかっていく青年の姿。 そして、親しかった女性は、さらに手の届かない存在になってしまった。
『兄様。大きくなったら私達、夫婦になりましょうよ。私はいつまでも、兄様をお待ちします』
そう誓いあったあの日も、今は遠き日々。
------------------ -------------------
「天照大神にお会いするって、どうしてそんな話になってるんですか!?」
六日目の朝。目を覚ましたシキは、突然 告げられた状況に、素っ頓狂な声を出した。
とんでもないことを平然と言ってのけた張本人は、うるさそうにそれを受け止める。
「ご自分が仰っていることを分かっていますか!? 天照大神は神様の中でも最高位で、 僕達がお目にかかれる方ではないんです!」
「あぁ、だから猿田彦の案が失敗に終わったときは、オレは乗り込もうかと思う」
「首が飛ぶからやめて下さい!」
全力でシキは止めにかかる。
何がどういう結論でそのような発想に到ったのか。シキには分かるはずもない。
「考え直して下さい。いっそのこと、玉依姫様とご結婚された方が、まだマシです!」
「お前、オレの味方じゃなかったのか」
「首が飛ぶなら話は別です!」
こうなれば、カエデを殴ってでも止めようと、シキは彼の着物の裾を握る。
そんなシキを、カエデは宥める。
「落ち着け。案があると言っただろう。乗り込むのは、それが失敗に終わったときだ」
「……どうしてそういうことになったのか、ちゃんと説明して下さい」
でなければ、とてもカエデを送り出せそうにない。
カエデは冷静さを欠くシキを、静かな眼差しで見つめる。
「建御雷神は、神の中でも最強と言われるほど、お強い方だ。そんな名のある方が突然、誰にも場所を知られずに 消息を絶つなど、変だとは思わないか?」
「そうですね。僕も、不思議だと思います」
同意し、シキは頷く。
カエデはさらに続ける。
「しかも、建御雷神は、もう何年も会議に出席しておられない。それだけの方が天照大神に何も告げずに去るとは思えないんだ。 その証拠に、天照大神はそれに対し、何も咎めていない」
説明が進むにつれ、シキの裾を掴む力が弱まる。
「全ては、天照大神が握っている」
「……本当に、行ってしまうんですね」
諦めに似た気持ちがシキの胸の内に広がる。
もはや止める気も起きず、シキはカエデの服を放した。
誇り高い長門の長は、誰のものにもならない。 一人の女性だけを想い、独りで生きる。
そんな人が、何百年も森を守り、シキの生き方さえも変えてしまったのだ。
彼ならきっと、玉依姫が与えた障害をも越えていけるに違いない。
「行ってきてください。僕は、カエデ様のお帰りをお待ちしています」
シキに出来るのは、カエデを信じて待つこと、それだけだ。
「あぁ、行ってくるよ」
微笑んで、カエデは頷く。
彼が動き出したのは、神在祭の最終日、七日目の夜だった。
------------------- ----------------
とうとう七日目を迎え、会議も終盤にさしかかった。
初日から緊張が続いていた警備兵達も、この日ばかりはどこか仕事に身が入っていない。 ここまで日が過ぎれば、神々を襲撃する者はいないと考えたからだ。
だが、その隙が仇となった。
一人が過ごしやすい秋風に欠伸を噛み締めていると、後ろから手刀を叩き込まれ、気絶してしまったのだ。
「おい、どうした!」
異変に気付いた仲間が、側に駆け寄る。 だがその者も、また次の者も、警備をしている者は次々に何者かの手によって床に倒されていく。
「早く神々にお伝えしろ! 侵入者だ!」
命じられた兵は急いで会議が行われている間へと向かう。
扉の前まで辿り着くと、兵は膝を折った。
「申し上げます! 侵入者です! 早くお逃げを……!」
そこまで告げた時、「ぐあっ」という叫び声が上がった。
今まで厳粛に会議を行っていた神々は、一時 騒然とする。
兵の叫び声が上がって間もなく、扉が開かれた。
「会議中、失礼する。玉依姫様は、いらっしゃるだろうか」
そこに姿を現したのは紛れもなく、長門の長、カエデだった。
------------------ ---------------------
「……カエデ殿。そなた、一体 何の真似だ」
カエデの出現に、玉依姫は立ち上がった。
神々の会議中、一地方の長でしかない者が介入するなど、不敬にも甚だしい行為だ。 咎められるのも当然だ。
だが、そんなことカエデは百も承知だった。
「玉依姫様。急で申し訳ないのですが、今から私とデートを致しましょう」
「……何だと?」
硬い口調の中から飛び出た『デート』という浮ついた単語。
玉依姫は見るからに拍子抜けする。
「会議中に許しもなく入室するとは、なんたる無礼!」
「牢に繋げ!」
口を挟む絶好の間隙に、老神達は一斉にカエデの行為を糾弾する。
「控えよ! 咎めるのは後だ」
「……し、しかし姫様」
玉依姫の強い制止に、老神達はたじろぐ。
そして再び玉依姫はカエデに目を向ける。
「カエデ殿。デートならば、会議が終わってからにしてもらおう」
「いえ、今ではなくては駄目なのです」
「何故だ」
「私は、もうすぐ夫になるからです」
思もよらぬ理由を持ち出され、玉依姫は目を瞬く。
「私は明日、正式にあなたの夫となってしまいます。あなたの意に沿う方を探しましたが、結局見つからず、 残された時間はほとんどありません。ならばもう、ほぼオレはあなたの夫でしょう。 夫であれば、あなたをここから連れ出すのも、可能なはずです」
カエデはそう言いつつ、ゆっくりと玉依姫の前まで歩み寄り、膝をつく。
すると、手を差し出した。
「どうか、私とデートをして下さい」
誰もが見惚れる微笑を、カエデは閃かせる。
だが、目だけは挑発的な光を宿していた。
その様子に、周りの神は目を白黒させている。
しばらく見つめていると、不意に玉依姫は声を出して笑った。
「ふふふ。いいだろう。デートとやらに付き合ってやろう。我が夫よ」
「姫様!」
カエデの手をとる玉依姫に声がかかる。
「よいではないか。折角の夫からの誘いだ。もう我がおらずとも、会議は進められるだろう?」
「そういう問題では……」
さらに老神が言い募ろうとするが、無意味だった。
カエデは了解を得ると、玉依姫を横抱きにして抱えたのだ。
「では、私はこれで失礼します」
「お、おい!」
止める術もなく、二人は間を出て行く。
会議の場には、その後しばらく沈黙が続くことになった。
「さて、カエデ殿。夫と名乗ってまで我を連れ出した、本当の理由を訊こうか」
廊下を出てすぐ、玉依姫は口を開く。
「どうしてです?」
「あれほど我の夫になるのに躊躇していたそなたが、いきなり観念して夫を名乗るとは、到底思えん。 何を考えている」
やはり、玉依姫には全てお見通しらしい。 誤魔化すことはできないと思い、正直に告白することにした。
「建御雷神に会いに行きます」
「……何、だと」
玉依姫の目がこれ以上ないくらい、大きく見開かれる。
「何故、そなたが場所を知っている」
「天照大神に、直接 伺いました。本当に、一か八かの賭けでしたが」
一昨日の夜に、カエデは猿田彦にあることを頼んでいた。
『建御雷神のことで、天照大神にお目通り願いたい』
そういった内容の文書をしたため、天照大神に送ってもらったのだ。本来ならば、文書を送ることさえも恐れ多い。 もし天照大神が短気であれば、不敬罪で囚われる可能性もあった。だからこそ、賭けだったのだ。
今カエデが無事でいられるのも、ひとえに天照大神の寛容さがあってこそだった。
「……そなたのデートとは、そういことか。だが今更、建御雷神に会わせてどうするつもりだ」
「さぁ? どうもしませんよ。私達はただ、デートをしに行くだけですから」
あくまでデートにこだわるカエデに、玉依姫は くすっと笑う。
警備兵が倒れている廊下をゆっくり歩いていると、カエデは向こう側にさらなる増援部隊を目に捉えた。
「さて、カエデ殿。我を連れ出せたのはいいとして、この社から警備網をかいくぐって、脱出できるか? 並の警備兵ではないぞ」
懸念する玉依姫に、カエデは口角を上げた。
「私を、誰だとお思いに?」