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五日目の夜を迎えた。
この日も、仕事を終えた神々は疲れを癒そうと、酒を肴に談笑していた。
玉依姫から、「もう下がってもいい」と許しを得た男性も、廊下に出て自身の宿舎へと戻ろうとする。
角を曲がろうとしたところ、誰かに軽くぶつかってしまった。
「気をつけろ!」
男性は危うく転びそうになり、体勢を立て直す。
最初は不機嫌そうにしていた男性だったが、相手の顔を見ると、ぽっと頬を染めた。
ぶつかった相手は、思わず身もだえしてしまうような、幼い美少女だったのだ。
「ご、ごめん……なさい……」
少女は怒鳴られたのが怖かったのか、ぶつかって痛かったのか。
顔を赤くさせて涙を滲ませている。
「悪い、悪かったよ! まさか君のような小さな子だったとは!」
男性は先ほどの態度を一変させて謝罪する。
明らかに、男性の少女を見る目が変わっていた。
しくしくと泣き出す少女を慰めるためか、男性はさらに声をかける。
「あぁ、そうだ。何か困っていることはないかい? あるなら、私に言ってごらん。何でもいいぞ」
「……何でも、いいの? 本当?」
「あぁ、本当だとも」
鼻息荒く、男性は頷く。
少女は俯きながらも口を開いた。
「……あのね、私、玉依姫様の遠縁なの。姫様にお会いしたいのだけれど、恥ずかしくって。 せめて、姫様のことをもっと知りたいの」
「いいとも、いいとも。私は玉依姫様のお世話係を務めさせて頂いているからね。よく知っているんだ。何でも訊いてくれ」
すっかり少女の虜になってしまった男性は、少女の質問に、すらすらと答えていく。
その様子を、離れた場所で見守る者達がいた。
「まさか、シキ殿にこのような特技があったとは」
猿田彦は感心して女装したシキの姿を覗き見る。
「玉依姫様が男ばかりを世話係にしていたのが、幸いしたな。しかも、調べたところ、あの男は幼女好きだ。 シキに落せないはずはない」
と、覗き見る猿田彦の横で、カエデは言う。
シキが女装するにあたり、カエデは近くの百円ショップで巫女用のカツラを買い、服は猿田彦のツテで女性用の着物を 貸してもらった。
それさえあれば、元々女顔のシキは化粧などしなくても、十分 魅力的な少女になる。 あとはシキの演技力にかかっていたのだが、これならどうやら心配はなさそうだ。
「くー、男にしとくには勿体ないのぉ。嫁にほしいぐらいじゃ」
「やらんぞ」
「冗談じゃわい」
カエデの厳しい視線に、猿田彦は口を閉ざす。
あと少しで終わりそうになった時、二人の背後で「きゃあ」と、小さな悲鳴が聞こえた。
振り返ると、女性の侍従だった。
(――見つかったか)
関係者以外 立ち入り禁止の場所なので、人を呼ばれると厄介だ。
カエデはやむを得ず、ある手段をとることにした。
「ひゃっ!」
人を呼ぼうとする侍従を逃げられないように壁に背をつけさせ、腕の中に閉じ込める。
そして顔を近づけた。
カエデの美貌を間近で見た侍従の顔は、みるみる内に赤く染まっていく。
「人を呼ばないで。オレ達は、怪しい者ではありません。ちょっと探し物をしているだけなんです」
「は、はぁ」
そして、きわめつけに侍従の顎をとらえ、頬に口付けた。
それだけで侍従は茹でダコのように真っ赤になり、床に座り込んでしまった。
「すみませんが、黙っていてくれますか?」
「は、はい……!」
美しい微笑を向けられ、侍従は反射的に頷く。
侍従が見惚れているあいだ、二人は速やかにその場を離れた。
「……お主、シキ殿に女装をさせなくとも、今ので一発じゃろう」
「いいだろう。一度、やらせてみたかったんだ」
女性を口説くのも、長年 生きてきたカエデには手馴れたものだ。
しれっとするカエデに、「お主の容姿は、宝の持ち腐れじゃぁ」と、猿田彦は嘆息した。
「シキ。どうだった」
男侍従と分かれたシキは、カエデと合流するなり、ぶわっと泣き出した。
「カエデさまぁ~。僕、今まで生きてきた中で、一番 恥ずかしかったですぅ~」
もはや死んだ身となっていることを忘れているのか、シキはそんなことを口にする。
だが、なじるように言っても、今のシキは可愛いらしい少女にしか見えない。
頑張ったシキを労い、カエデは頭を撫でる。
「それで、どうだったんじゃ?」
話を戻そうと、猿田彦が促す。
するとようやく、シキは顔を上げた。
「あぁ、はい。先ほどの男性の話によると、どうやら玉依姫様と建御雷様は、幼馴染だったそうです」
「幼馴染?」
玉依姫には、あまり結びつかない単語に、カエデは眉をひそめる。
「昔、よく遊んでいらしたそうです。玉依姫様とは、お互い婚姻の約束をされていたほど、仲がよろしかったそうで」
「ほぅ、熱烈よのぉ」
「ですが」とシキは続ける。
「時が経つにつれ、建御雷様は他の女性を愛するようになり、姫様の想いは、片想いになってしまわれて。 それっきりだそうです」
玉依姫のことを考えたのか、シキの声も暗くなる。
――片想い……か。
カエデは胸中で呟く。
シキの話を聞くだけで、どうしようもない切なさが広がる。 他人事に思えないのは、過去に自分も同じ思いをしたからだろう。
「薄情な奴じゃな。姫様ほどの美人を捨てて、他の女に乗り換えるとは。いやはや、顔が良い奴の気が知れん」
「ほっとけ」
軽い嫌味に、カエデは投げやりに言う。
「僕が得た情報はこれだけです。そういえば、猿田彦様の方はどうでしたか?」
昨夜、念のためにと、猿田彦の式を建御雷神の社へ飛ばしていたのだ。
その結果を訊く。
「うむ。さっき、建御雷神の社へ向かわせた式が帰って来たんじゃが、駄目じゃな。社にもおらなんだ」
「収穫なしか……」
ここまで調べ上げて分かったことといえば、玉依姫と建御雷神の関係と、彼が社を留守にしていることのみ。
期限は今日を抜けば、あと二日しかない。 こんな状態では、建御雷神を見つけることは絶望的だ。
(……しかも、姫様が未だ彼に未練があるのか、それすらも定かではない)
細い糸は確かに繋がっているのに、暗雲がたちこめて先が見通せない。
カエデが思索にふけっていると、シキに背を押された。
「とにかく、今はここを出ましょう。見つかったら大変です」
「そうじゃな。行くぞ、カエデ」
思えば、自分達がいる場所は関係者以外、立ち入り禁止の場だ。
シキの言うことはもっともで、カエデは歩き出そうとした。
だが。
「おやおや。このような所に、ねずみが三匹 紛れ込んでおる」
ぎくりとして、三人は振り返る。
この声には、聞き覚えがあった。
「……玉依姫様」
三日後、もしかしたら妻になってしまうかもしれない人物がそこにはいた。
相変わらず、憎たらしいほどの美しさだ。
「いや、ねずみが二匹だな。一人は、未来の我が夫ではないか。こんな夜更けまで建御雷の捜索とはな。ごくろうなことよ」
どうやら、こちらの動向はお見通しらしい。
昨日、一昨日と、あれだけ多くの者達に訊ねて回ったのだから、彼女の耳に入るのも当然だろう。
「やはり、捜索は難航しておるようだな。だがまさか、我の侍従がたぶらかされるとは。そなたの補佐もやるな」
「こっ……これは……!」
玉依姫に視線に向けられ、シキは自分が未だに女装姿なのを思い出したらしい。
慌ててカツラを取る。
「それで、何の御用でしょうか。期限はまだあると思うのですが」
「なに、偶然そなた達を見かけたので、声をかけたまでだよ」
そう言い、玉依姫は するするとカエデに近づく。
そして、優雅な仕草でカエデの頬に触れた。
「そなたは建御雷と我を引き合わせようと考えているようだな。いい線はいっておる。だが、残念だ。 結局、そなたは我のものとなるのだからな」
「…………どういう意味でしょうか」
やけに自信を持った物言いに、カエデは目を細める。
玉依姫の顔がより近くなる。
「分からぬのだよ、我にも。彼の居場所が」
途方に暮れたような、そんな表情にカエデは目を見開く。
それと同時に、玉依姫は頬から手を放し、カエデの横をすり抜ける。
慌ててシキと猿田彦は道を空けた。
「まぁ、既に勝敗は決しておるが、せいぜいあがくがいい」
「……いいえ。まだ、決まってはいません」
何の勝算もないが、カエデは見栄を張る。
すると、そのまま通り過ぎていこうとしていた玉依姫がぴたりと止まった。
「そなたは誠、ユキによう似とる」
「…………え」
思わぬ人物の名に、カエデは声を洩らす。
固まるカエデに訊く暇を与えず、玉依姫はそのまま去っていった。
「……幼馴染である姫様にも居場所が分からないなんて。どうします? カエデ様……って、カエデ様? 聞いてます?」
シキに身体を揺すられ、カエデは はっと我に返る。
「……あ、あぁ。とにかく、今日はもう宿舎に戻ろう。話はそれからだ」
カエデは誤魔化すように、先頭を切って歩き出す。
今のカエデには、玉依姫が建御雷神の居場所を知らない事実よりも、彼女が口にしたユキの名ばかりが頭を巡っていた。
――何故、姫様は『ユキ殿』ではなく、『ユキ』と呼んだ?
ユキの名を聞くだけで、こんなにも動揺する自分が恨めしい。
その事を悶々と考えていると、いつの間にか宿舎に着いていた。
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午の刻もとうに過ぎ、皆が寝静まった頃。 カエデはどうも寝付けず、木から降りて夜の散歩に出掛けようとしていた。
すると、それを察したように宿舎から猿田彦が顔を見せた。
「カエデ。どうせ眠れぬなら、月見をしながら酒を飲まんか」
そういった猿田彦の誘いから、二人は屋根上で酒を飲み交わすことになった。
宿舎の屋根に腰を下ろし、徳利を挟んで月を眺め見る。
こんな状況でも、月は相変わらず綺麗だった。
「どうせお主、ユキ殿のこと考えていんたんじゃろう」
「……」
杯に口をつけ、カエデは沈黙する。
それを肯定とみなしたのか、猿田彦は がははと笑う。
「昔から、お主はユキ殿のことばかりじゃのう。まぁ、確かに姫様にも劣らぬかなりのべっぴんだったが。 お会いする度、ワシも心躍らせたものじゃあ」
「お前、何が言いたい」
猿田彦の言わんとしていることが分からず、カエデは軽く睨む。
再び酒を口に含もうとすると、猿田彦は切り出した。
「いつまでユキ殿にしがみついておる」
カエデの杯を持つ手が、止まった。
「お主が結婚しないのは、未だにユキ殿のことを想っておるからじゃろう。一途で結構なことだが、 もうそろそろ、断ち切るべきだろう。このままではお主、一歩も前に進めんぞ」
猿田彦の諭すような言葉に、カエデは視線を落す。
「だから、玉依姫様とさっさと結婚しろと、そう言いたいのか?」
「別に、姫様に限ったことではないが、ようするにそういうことじゃ。早く愛せる女性を見つけて、幸せになってほしい。 ただ、それだけのことよ。シキ殿も、同じことを思っておるじゃろう」
――そんなこと、分かっている。
猿田彦に言われずとも、カエデには分かっていた。 既に亡くなってしまった人を想ったところで、何にもならないことを。
だが、想わずにはいられないのだ。
ユキの笑った顔。ふと見せる凛とした姿。最期に見た、光の中の儚いユキ。 それらは瞼の裏に鮮明に刻まれ、忘れることなど出来ない。
たとえユキが自分を愛してくれていなかったとしても。
「そうだな。そんな人が見つかったら、考えるよ」
そんな人を見つける気は全くなく、上辺だけそう答える。 猿田彦にはそれが分かったのか、「はぁ」と息をつく。
「お主も、頑固よのぉ」
「しかし、二日後にはオレも妻をもつかもしれんがな」
玉依姫の意に沿う男性を見つけなければ、自分は結婚させられる。 もう二日しかないというのに、それが現実のこととして実感が湧かない。
いっそ、誰かと結婚してしまった方がいいのかもしれない、とさえ思う。
そうすれば、自分は幸せになれるのだろうか。
「それにしてものぉ。建御雷神は何年も出席せず、どこへ行ってしまわれたのか。あれほど名のある方ならば、 誰か一人くらい居場所を知っていても、おかしくはないのだがなぁ」
「…………確かに、そうだな」
猿田彦の声に促され、カエデも再び思考し始める。
玉依姫に再び会ってからというもの、カエデは妙な引っ掛かりを感じていた。
(猿田彦の言う通りだ。普通、どこか遠くへ出掛けられるのであれば、誰かに場所を知らせているはずだ。 これではまるで、失踪同然。天照大神も、何を黙って……)
そう考えた瞬間、カエデの中で何かが一つに繋がった。
――そうか!
カエデは思わず立ち上がる。
「おっ! どうしたんじゃ、カエデ」
「猿田彦。頼みがある」
「な、何じゃ」
覚醒したカエデに、猿田彦は驚きつつ訊く。
次にカエデが口にした頼みは、猿田彦が驚愕するものだった。
「天照大神にお会いしたい」