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「シーキ! シーキ!」
耳がキンとする高い声で、シキの意識が浮上した。 目を開けると、自分と同じ紫色の瞳が間近にあった。
しばしの間、見つめ合う。
「カエデ……様?」
「うん、カエデだよ」
自分の主と同名の少女。彼女がいる、ということは、先程の事は夢だったのだ。
いや。夢というよりは、昔の記憶が甦った、と言う方が正しいだろう。
実際シキが見ていた夢は、現実であった出来事だ。
「僕は……一体」
「倒れたんだよ。で、偶然通りかかったタイカが運んで来たの」
辺りを見回してみると、そこは木の中に造られた寝室だった。霊や精霊は、この世界において肉体を持たないため、寒さや暑さは感じない。
寝室は、雨風をしのぐ場所であり、本来はあまり使わない場所だ。
ここに寝かされたのは、本当に久しぶりだ。
シキは半身を起こしてチビカエデと目を合わせた。
「タイカ様は……」
「今、シキのために薬を採りに行ってる。でも、珍しいね。タイカが文句も言わずに黙って行くなんて」
タイカが文句を言わなかった理由を、シキは知っていた。
しかし、その理由を口には出さない。
「――シキ」
不意に、チビカエデが真剣な眼差しで自分を見た。
彼女は時々、見た目にそぐわない、大人びた表情を見せる。
「……どうして、カエデに言ってくれなかったの?」
責めるように、シキに問い詰める。
やはり、知っていたのか。
「タイカ様に、聞いたのですか? ――僕の命のこと」
実はシキが立ちくらみを起こして倒れたのは、これが初めてではなかった。
つい先日も、意識がなくなったのだ。 その時、タイカは教えてくれた。
『シキ。お前が何十年もこの森に留まれたのは、カエデの力のおかげだ。普通、霊体となった魂は、十年、二十年で 本人が望まなくとも、強制的に転生される。それ以上この地に留まるのは、自然界の掟に背く行為だ。 お前もこの地に留まって二十年経った時、体調を崩したはずだ』
確かに、シキは以前にもこうやって倒れたことがあった。 肯定すると、タイカは続ける。
『恐らく、カエデはお前をここに留まらせるために、契約をしたんだ。――自身の半分の寿命と引き換えに』
それを聞いた瞬間、シキは心臓が止まるかと思った。
『そうでもなければ、お前は今 ここにはいない。それくらいの代償を、カエデは払った。でなきゃ、オレがカエデに 四百勝も出来るわけない』
カエデがタイカと初めて闘ったとき、タイカは手も足も出なかったという。
だがある時を境に、カエデの力が急激に弱まった――
『カエデが消えて契約が切れたことによって、お前にも影響が出始めた。多分、このままだとお前は……』
シキの問いにチビカエデは頷かなかったが、十中八九、タイカから聞いたことは間違いないようだ。
「ねぇ、答えて。どうして、カエデに話してくれなかったの?」
カエデが消える直前にシキが訊ねた内容と、そっくりそのままの台詞を投げかけて来る。
あの時のカエデも、さぞかし困ったことだろう。
しばらく考え込み、ようやくシキは口を開いた。
「……僕は昔、一頭のただの鹿として生きていました」
それは、何十年も昔の、自分の遠い過去だ。
「生前の僕は、体も気も弱くて、両親も友達もいませんでした」
ある日、足を挫いて帰れなくなったシキに、カエデはユキに頼んで足の怪我を治してくれた。 さらにカエデは友達のいなかった自分に、友達をつくるきっかけを作ってくれた。
以前どうして助けてくれたのか、理由を訊いてみたところ、カエデ曰く。
「ユキがあの時、シキをとても心配していたから、オレはシキを助けたんだ」
ということらしい。
理由はどうあれ、シキにとっては何よりも嬉しかったのだ。 だからシキは死んだ後、カエデの許へ行き、恩返しをしようとした。
ところがどうだろう。恩返しをしようと思っていた自分が、再びカエデに助けられていたのだ。
――しかも、カエデの寿命半分を引き換えにして
「……僕は、自分の生きている意味が、もう分からないんです。大切な人を、助けたかったのに。逆にカエデ様の寿命を 縮めることに……」
鹿だった頃、シキは早くに両親を亡くした。そのため、シキは両親に何もしてあげられなかった。
自分ばかりが助けられていて、何も出来なかったのだ。
「結局、僕は鹿の頃からずっと、足でまといでしかなかったんです」
自分は十分過ぎるほど生きたと思うのだ。 チビカエデの足を引っ張る前に、自分は消えたほうがいい。
それが、チビカエデに言わなかった理由の全てだった。