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SKY CAFE

 幾何学大学 ~独白~

   

幾何学大学の宇宙科学部のある昼下がりのこと。  橘サトルは、携帯の端末を手に取り、実家に電話をかけていた。

 

近頃、自らに起こった盗聴器事件で、家族にどうしても聞きたい事があったからだ。  それは、幼い頃に起こった交通事故により行われた手術で、橘の頭に盗聴器が仕掛けられた、その理由と経緯を知るためだ。

 

神埼教授は何故、幼かった自分に、そんな非道なことをしたのか――。  今日こそは、事の真相を家族の口から、直接訊いておきたかったのだ。

「もしもし、サトルです」

 

橘は、盗聴器がついたままの、愛犬ソネットの写真つきペンダントを手にしている。橘の声は重く沈んでいた。

「あら、サトルちゃん、どうしたの?」

 

橘の母は、まるで何事もなかったかのように、軽々しい声で応答した。

「先日頂いたソネットの写真入りペンダントの件ですが……」

「あ、あのペンダント、いいでしょ? 犬好きのサトルちゃんのことだもの。きっとソネットの顔が見たいんじゃないかと思って」

 

母は、早口で橘に言うと、気まずそうにケホンと咳をした。

「誤魔化さないで下さい。母さん」

 

本来なら、口を聞くのも嫌になってしまった相手だ。  しかし、このままでは一歩も先に進めない気がした。

「ソネットの写真の裏にまで、盗聴器を仕掛けないでくれますか? 僕一人の身で、十分、家は潤っていたのではないですか?」

 

それは、橘の頭に仕掛けられた盗聴器と引き換えに得た、裕福な暮らしの事だ。  両親が犯した罪を誤魔化されるくらいならと、橘は、単刀直入に母親に告げた。

「サトルちゃん、何を言ってるのか分からないわ……私達は、サトルちゃんの身を思って……」

 

橘の母は、しどろもどろで盗聴器の件を話し始めたが、その横から父親の声がして、電話の相手は父に変わった。

「私だ。サトル、文句があるのなら、母さんじゃなく私にしろ」

「僕は、どちらでも良いです。僕に仕掛けられた盗聴器の件で、お話を伺いたいだけなのですが」

 

橘は今まで、両親に愛され、ここまで育ってきたのだと思っていた。  幾何学大学で、盗聴器が発見される前までは。  だが、それが、全て虚構であることを知った橘は、偽りの時間を消し去る為に、今、親子関係にピリオドをつけようとしている。

「お前は、どこまで知っているんだ?」

 

父は、どこか迷ったような口ぶりで言った。

「そうですね……僕の頭に盗聴器が埋め込まれた事と、先日頂いたペンダントにも、それが確認されたことでしょうか」

 

事実を語る橘の口調は、淡々としていた。

「お前は、研究者としては未熟だ。お前一人の力では、幾何学大学へ入学する事も不可能だっただろう」

「それが、僕の頭に盗聴器を仕掛けた理由ですか。それを知りながら、この幾何学大学へスパイとして入学させたのですか?」

「神崎教授には恩がある。お前も世話になっただろう」

 

父は、橘を諭すように言った。

 

確かに神崎教授には、幼かった橘の命を救った主治医であり、その後も世話になった記憶がある。  しかし、それは、橘を利用して様々な研究機関に送り込み、内部情報を探る為なのだという事を、橘は知ってしまった。

 

父は、盗聴器なしでは、幾何学大学に入れなかったと橘に言った。

「分かりました」

 

橘は、そのいい訳を聞いて決意した。

「貴方達の言い分は良く分かりました。でも、僕にも考えがあります」

「考え? 今のお前に何が出来る」

 

助手という立場にある身を蔑むような言葉に、橘は拳を握った。  この時、父は橘の反撃を予想さえしていなかった。

「そうですね。このペンダントがあるのなら、今も神崎グループの恩恵を受けているのでしょうね」

「――……」

「貴方達の家への送金を、現在学長である白石先生にお願いして、銀行の口座を全て凍結させて貰います」

 

橘は、反省の色もない両親に最後通告として言った。  それだけの事を、この両親はしたのだ。

「覚悟しておいて下さい」

「サトル、ここまでお前を育ててやったのは私達だ。それを忘れるな」

「貴方達を、親と呼びたくありません」

 

正直な気持ちを父に伝えると、怒りに震えた声が返ってきた。

「――分かった。分かったぞ。お前はもう橘家の人間ではないのだとな!」

「はい」

「勘当だ! 二度と、この家の敷居を跨ぐな」

「そのつもりです」

 

橘は、あっさりそう言うと、父は、何も言わなかった。  そして、しばしの空白の後、プツリと携帯の回線が切れた。

 

握っていた携帯の手を、だらりと下ろす。  ほっと安堵の息をついた。

「良かったのかい?」

 

会話を聞いていた白石十樹は、声をかけることで橘を気遣った。

「はい」

 

橘は、思い出したように、ふいに周りを見ると、皆の視線は自分に向けられていた。  宇宙科学部の研究所内からの電話だった為、おおよその内容は、研究所内にいるメンバーにも聞かれていた。この件を知っている十樹や桂樹は、いつも通りだったが、只一人、ここに来て初めて事情を知った亜樹だけは、少なからず驚いていた。

 

その様子を見て、橘は亜樹に困ったように微笑んだ。

「こういう訳なんです。亜樹さん」

                  

 

橘は研究の手を休め、ぼんやりとしていた。  外の空気が吸いたくなり、研究室から中庭に出ると、空から雪が舞い降りてきた。

 

真冬にも関わらず、少し温かい今日の天候の為か、雪は地面に落ちた途端に溶けてしまい足元はぬかるんでいる。掌で溶ける雪を見て、目の前を舞い散る雪を儚く思う。  秋に落ちた木の葉は腐りかけていて、元の原型を留めていない。

 

橘は、足で踏みつけにしている落ち葉を見て思った。

――何も知らなかったあの頃は、輝いていたのかな。

「橘さん」

 

葉の一つも残さない、冬木を眺めていると、亜樹が橘のコートを持って後を追いかけて来ていた。

「亜樹さん……」

「まだ春は先よ? 風邪をひいたらいけないわ」

 

そう言う亜樹だったが、研究室の服を身にまとっているだけで、コートは羽織っていない。  橘は、くすりと笑った。

「僕のコートは、亜樹さんが着て下さい」

 

手渡されたコートを亜樹に着せると、上着を着るのをすっかり忘れていた亜樹は、恥ずかしそうに顔を赤らめた。

「嫌だわ……私も忘れてたの」

「さ、亜樹さんこそ風邪をひいてしまいますよ。研究室に戻って下さい」

「橘さんを、今一人にはさせたくないわ」

 

亜樹は、小さな声でそう言うと、橘の手をそっと握った。

「さっきの電話の件なら、気にしないでください。それに、僕は、ここに落ちてる葉っぱみたいなものです」

 

握られた手を、そっと離す。

「橘さん?」

 

亜樹は、橘の言いたいことが分からず、首を傾げた。

「何度も何度も踏みつけにされて、きっと腐って行くんです」

「――……」

「僕は、何の為に生まれて来たんでしょう」

 

橘は、灰色の空を見上げて呟いた。  すると、亜樹は言った。

「橘さん……落ち葉は、次の命を育むために、何かを守る大切な役割を担っているわ……春を迎える為の準備をしているのよ」

 

俯いて言う優しい亜樹の言葉は、不思議と橘の心に染み込んで、気持ちを穏やかにさせた。

 

同時に、橘の涙腺を弱くさせた。

「――……僕は、少し泣いてもいいんでしょうか」

 

以前、橘は亜樹に言われた言葉がある。  「悲しんでいるのを見て、悲しむ人がいる事を忘れないで」と。

――その言葉を胸に、今日まで、泣く事を封印してきた橘がいる。

「それじゃ、私も橘さんと一緒に泣いていいかしら」

「……すみません」

 

亜樹に謝って身を預けると、橘の髪が亜樹の肩に触れた。  背に回された亜樹の両手は、身体を優しく包み込み、橘はようやく泣くことを許された気がした。

                 

 

翌日の朝、橘は、すっきりとした頭で目覚めた。  盗聴器発見後、どこか心は沈んでいて、どんよりとした気分で毎日を過ごしていたのだが。  胸に手をあてて、自分の変化を感じていた。

――よく寝た。今は何時だろう?

 

そう思い、時計を見ると、既に朝の十時を回っており、橘は慌てて飛び起きた。

「橘さん、おはようございます」

 

研究室の扉を開けると、亜樹が紅茶をこぽこぽとティーカップに注いでいる。

「何故起こさなかったんですか! 研究は」

「橘さん、よく寝てらしたから、研究は今日はお休みですって」

「そ、そうですか」

 

寝坊した責任を母親に押し付けるような言動に、今更ながら恥ずかしくなる。  いつも、この時間は、十樹も桂樹も何かしらの研究をしている。  それが、今日はやけに静かだ。

 

橘は、幾何学大学の普段着である白衣に急いで着替えた。

「皆さんは、どこへ?」

「今日は、カリム君達が遊びに来ているの。橘さんが起きたら、中庭に来るようにって、兄さん達が言ってたわよ」

 

橘は、自分が寝坊した事で、研究の手が止まってしまったのではないか、と心配になった。  亜樹が用意してくれた朝食を慌てて口の中に押し込むと、中庭へと向かった。

                  

 

中庭に出てみると、夜の寒波も手伝ったのか、一面の銀世界が広がっていた。

「こら――お前等、三対一はズルイだろ!?」

「桂樹、強いもん! これで丁度いいんだよ」

 

桂樹は、子供達と一緒に雪合戦をしていた。  三対一という圧倒的に不利な中、桂樹の足元は雪玉で埋まっているのように見える。

「おっ! 橘、来たな。この面倒な奴等の世話を見てくれ」

「橘は、桂樹の味方しちゃだめー!」

 

リルが、雪玉を桂樹に投げつけながら言う。

「これは、桂樹とオレ達との真剣勝負なんだ!」

 

カリムは、容赦なく桂樹に雪玉をぶつけている。

「こら! お前等! これはいじめだぞ! いじめは良くないと、学校で教わらなかったのか!」

 

桂樹は、リルが投げつけた雪玉をさっとかわし、カリムが投げつけた雪玉を、そのまま手で受け止めると、逆に反撃した。

「げっ!」

「きゃー! やっぱり桂樹酷い」

「オレのフットワークの良さを舐めんなよ!」

 

そんな様子を見て、十樹は、くすくすと笑っていた。  橘は、積もった雪を、さくりと手に取り十樹に言った。

「雪って綺麗ですね。汚いものを全て覆い隠してくれそうで――」

 

元気な子供達を見ながら、楽しげに橘は言う。

「ここの皆さんといると、ほっとします」

 

幸せを実感した橘は、自然と微笑んでいた。

「それは良かった」

 

そんな橘に、十樹は笑顔を返した。

                   

 

雪に魅せられた橘は、その日、自分に割り当てられた研究室で、ある物を造っていた。  雪の結晶を、溶けないように手を加え、大きな結晶にし、三枚の小さな鏡を重ねあわせた。

「出来ました」

 

そう言って、亜樹にプレゼントした。

「亜樹さんは、僕にとって雪のような人です。僕は、亜樹さんの存在に救われて生きてます。そのお礼です。受け取って貰えますか?」

 

橘が、亜樹にプレゼントしたのは、雪の万華鏡だった。  円状の筒を、くるくる回すと、雪の結晶が鏡に反射して、姿を変えながら踊る。

「橘さん、ありがとう」

 

亜樹は笑顔でそう言うと、橘の頬に優しくキスをした。  ぽっと心に火が灯り、寒い冬の日のはずなのに、暖かくなった。

「私、この雪の結晶に色をつけてみたいの。いいかしら?」

「勿論です」

 

橘は、穏やかに微笑んだ。

 

きっとこれも、幸せになる為の準備なんだと橘は思う。  落ち葉は落ち葉のままじゃない。  春を迎える為に、姿を変えて、形を変えて、この世界に生き続ける。

 

世界は今までの世界じゃない。  僕は僕のペースで、一歩ずつ一歩ずつ、足を踏みしめて未来を築いていこう。

(終)