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「ごめんなさい。今晩は、貴方にお付き合い出来ないわ」
瑞穂は、佑にそう言って食事を断った。
「……それで、遠野さんはいいんですか?(僕の事は眼中にないんですか?)」
「ええ、もう心に決めたの(マグロを食べに行くことに)
「……そうですか、残念です(もう心に決めた相手がいるんですね)」
佑は、がっかりとした様子でその場を去った。 去り際に、瑞穂が「また誘ってねー」と、手を振り言った台詞は、振られたショックにより佑の耳に入っては来なかった。
☆
「そうか……それは残念だな」
十樹は、携帯にかかってきた電話に、研究の手を休めて瑞穂と会話をしている。
『だって、桂樹君が奢ってくれるって、それも今日しかないって感じでしょ。今晩は存分にマグロを楽しんで来るわ』
瑞穂は、意気揚々として十樹に言った。
(――桂樹が奢るなんて珍しいな。いつも私から金銭を掠め取っていく奴が)
「私は、都合がつけば、いつでもご馳走するから、また誘うよ」
『十樹君が話の分かる人で良かったわー』
「……そう言えば、朝、研究室に桂樹の姿がなかったが」
『私はさっき会ったわよ。電話じゃなくて本人に』
「そうか、なら良いんだ」
十樹は無駄な心配をしたと、瑞穂に言って携帯を切った。
☆
午後も六時を回って、幾何学大学病院での瑞穂の勤務が終わった。 瑞穂は、大学病院の寮で、目一杯おしゃれをして、外出許可をとり、ホテルアソシアットへ向かった。
「んー、何ていい日なのー」
この夏の夜、瑞穂は、まだ沈まない夕日を背にして歩いていく。
その後をつけて来ている存在があること等、気付きもせずに。
その正体は、宮川佑である。 佑は、自分を振った理由が、瑞穂の今晩の外出先にいる人物にあるのだと思い込み、それを 確認する為に、後をつけて来ていたのだ。
この先にあるのは、アソシアットホテル……
☆
瑞穂は、アソシアットホテルに着くと、展望レストランへエレベーターを使って上った。 展望レストランには、既に予約済みの席が用意されている筈なのだが、いざ、そこに辿り着いてみれば、桂樹の姿が見えない。 それどころか、瑞穂の為の予約すらされていなかったのである。
「ちょっと、予約されてないって、どういう事なのよ」
「お客様、何かのお間違えではないかと……」
レストランの従業員が、謝りながら瑞穂を宥める。
「あいつは、屋上って言ったのよ? 屋上って言ったら、当然、ここのことでしょ?」
「屋上……屋上ですか」
従業員は、もしかしたら、と瑞穂に告げると、展望レストランより上にある上層階を案内した。
☆
宮川佑は、瑞穂より遅れて展望レストランに着いた。 ここに、瑞穂が待ち合わせをした男がいる筈なのだ。 佑が、きょろきょろと辺りを見回していると、従業員が話しかけてきた。
「ご予約のお客様ですか?」
「違う。ここに女性が来なかったか?」
「ああ! もしかしたら、先程の女性のお連れ様ですね」
従業員は、何か勘違いをしていたが、それを否定する者はその場にいなかった。 女性が屋上に向かったことを佑に告げると、佑は急いでエレベーターへと向かった。
☆
チンっと軽快な音が鳴り、エレベーターが屋上へ着いた。 瑞穂は、まさか……という気分で、夏の風に吹かれて、ホテルの最上階、屋上へ降り立った。
「どういう事?」
選び抜いたドレスが、風にはためく。 瑞穂は、まるで果たし状を送られたドラマの主人公のような姿だ。
夕日が沈み、すっかり辺りも暗くなった夜の暗闇の中で、赤く燃える炎が見える。
待ち人は、そこにいた。
「へい、いらっしゃい」と書かれたハチマキを頭に巻き、炭火焼の七輪の火を、ばたばたとうちわで扇ぎながらサンマを焼いている不審な男――祭りのハッピを来た桂樹の姿がそこにはあった。
――こんな場所で、何故こんなことを――
瑞穂の手は、わなわなと震えていた。 高いヒールの靴音を立てて、桂樹の前に立つ。
「おっ、瑞穂来たのか、今、丁度サンマがいい具合に焼けて……」
「桂樹君、マグロは?」
「今日の漁はサンマが豊漁で、マグロはなかったんだ」
桂樹が、魚を裏返すためのトングを手に、瑞穂の肩を叩こうとした時、瑞穂の怒りはマックスになった。
「私のマグロはどうなるのよー!」
「遠野さんに何をするつもりだ!」
遅れて着いた佑が、桂樹を素手で殴ろうと拳を振り上げてきた為、桂樹は、瑞穂と佑の両方の拳をさっと交わすと、佑にツバメ返しをお見舞いして、その頭を桂樹の靴で踏みつけた。
「宮川君!? どうしてこんな所に」
「こいつは誰だ?」
瑞穂の顔を見て桂樹は聞く。 佑は「うう、畜生」と屋上のコンクリートに頬をつけて、桂樹に恨み言を言った。
「お前が悪いんだ。お前が遠野さんを……」
佑がそう呟いたとき、ドンっと大きな音がなり、夏の夜空に花火が咲いた。
「ああ……そういえば、今日は夏祭りだったわね……」
幾何学大学がある場所では、見えない花火だ。 大学に入ってからは、忙しく花火を見ることもなかった。
瑞穂が、幼き日を思い出す様に呟くと、桂樹は満足げに笑った。
「おい、お前、誰だか知らんが、お前の分のサンマもあるから喰ってけ」
桂樹は、佑が暴れないことを確認して、コンクリートに寝転がる身体を起こした。
ドン、ドンと続けて花火が打ちあがる中、三人は花火を眺めながら、炭火焼のサンマを食べた。
☆
後日、白石桂樹と遠野瑞穂がデキているらしいと言う噂が流れたが、噂を広げた主が誰だったのかは、 言わなくても分かっていた。
「遠野さーん、これもお願い」
「はいはーい!」
今日も、医局で瑞穂は張り切っていた。
瑞穂の心に、あの日の花火が今も強く残る。 佑を倒した桂樹が、それとなく格好良く見えたのは、そのせいだったのか。
今日の瑞穂が機嫌の良い理由。 それは、瑞穂だけの秘密だ。
(終)