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SKY CAFE

 幾何学大学 ~豪華ディナー~

   

幾何学大学医学部の医局では、複数の職員が忙しげに日々の業務に追われていた。  そこに所属する遠野瑞穂も、勿論例外ではない。

「遠野さーん、こっちもお願いできるかしら?」

「はいはーい、今行きまーす」

 

婦長からの呼びかけに、瑞穂は駆け出していった。  立て続けに入ってくる仕事を、瑞穂はテキパキとこなしている。  医師達は、不思議そうに彼女を見た。

 

何故ならこんなにハキハキとした彼女は珍しいからだ。  低血圧で、朝が苦手な瑞穂は、午前中は機嫌が悪く、何かあっても「へー」「ふーん」「そう」と短くも適当な返事しか返ってこないのだ。

 

いつもにまして忙しい朝であるにも関わらず、今日の彼女はすこぶる機嫌が良い。

「遠野くん、今日は張り切ってんなぁ」

「何か良い事でもあったんじゃないですか?」

 

医局に訪れた医師達は、笑顔で働く瑞穂に対し、そんな風に話をしていた。  最も、本人はいつもと同じように振舞っているつもりだったのだが……それは隠し切れなかった。

――そう、彼女にとって、最上の幸せが訪れていたのである。

 

それは、昨夜、瑞穂が入浴後、髪を乾かしていた時にかかってきた一本の電話がもたらした。

「夜遅くすまない。例の服を貸してくれた礼がしたいのだが……」

 

電話の相手は、白石十樹からのものだ。

 

瑞穂は、白石兄弟に会う度に、かつての借りを豪華ディナーと言う形で返す様請求してきたのだが、ようやくその成果が出たのである。  しかも、十樹が待ち合わせに指定したホテルは、超一流の「マリオネッタホテル」だ。

 

今晩には、そのマリオネッタホテルで、豪華ディナーを食している自分を想像して、瑞穂はすこぶる上機嫌なのだった。

(豪華ディナー♪ 豪華ディナー♪ 今晩は、何を着ていこうかしら♪)

                   

 

フンフーンと、鼻歌を歌いながら、病院のカルテ整理をする瑞穂を見ている、一人の男性医師がいた。

「今日なら、きっとイケる!」と力拳を握る。

 

幾何学大学の内科医師、宮川佑である。  宮川佑は、兼ねてより、瑞穂の快活な性格に惹かれ、秘かに恋心を抱き、告白のチャンスをうかがっていたのだ。

 

カルテ整理を行っている部屋は死角が多く、二人きりになる絶好の機会のように思えた。  佑は、勇気を振り絞って、瑞穂に声をかけた。

「あの、遠野さん」

「はい、何かしら?」

 

瑞穂は笑顔で振り向くが、その心は豪華ディナーの事で頭が一杯だという事に、佑が気付くはずもなかった。  佑は、僕の呼びかけに、こんなに素敵な笑顔を返してくれるなんて……と幸せに満ちた勘違いをしていた。

「今晩、僕に付き合ってもらえないですか? 大事なお話があるんです」

 

佑は、顔を赤らめて言った。

「どこに付き合えばいいの?」

「えっ!? えーと、ホテルオークランドのレストランに、僕の名前で予約を入れておきますから、一緒に食事しませんか?」

「今晩?」

 

瑞穂は悩んだ。勿論、十樹との約束があったからである。

 

どちらを断ればいいのか。  ホテルオークランドと、マリオネッタホテル、どちらも超一流のホテルだからだ。

「今晩じゃないと、ダメなんです!」

 

佑は、自分の決心が揺らぐ前に、もとい、瑞穂の機嫌が良いうちに、長年の自分の想いを伝えたかったのだ。

 

瑞穂は、オークランドとマリオネッタは、どちらの方が高級で、より美味しい食事が出来るのか分からず迷っていた。

「ちょっと考えさせて」

「分かりました」

 

佑は、自分の想いに答えようかどうか迷っている(はず)の瑞穂にそう告げると、カルテが置いてある部屋から出た。

「オークランドとマリオネッタか……」

 

佑の心とは裏腹に、瑞穂は、あくまでも食事の事しか頭にはない。

                 

 

ホテルオークランドのメイン料理は、若鶏のグリル、ラタツゥイユと二種のソース、マリオネッタホテルのメインは、ビーフストロガノフ……。

(ああ、どっちも捨てがたいわ!)

 

身体が二つ欲しいと、頭を悩ませる瑞穂が、患者のカルテを持って廊下を歩いていると、白石桂樹と出会った。  桂樹は、瑞穂の顔を見ると「ディナーを奢らされる!」と、毎日逃げ回っていたのだが、今日の彼は違った。

「ああ、いた。おい瑞穂、うろちょろするなよ。随分捜したぞ」

「仕事が一杯なのよ。桂樹君、一体何の用?」

「例の豪華ディナー、今日奢ってやるから、ホテルアソシアットに、夜七時に来い」

「ホテルアソシアットって……」

「活きのいいのが入ったんだ。屋上で待ってるからなっ!」

 

桂樹は、そう言い残すと、足早に走って行ってしまった。  瑞穂が何も言えないまま走り去ってしまった為、ますます頭を悩ませる結果になってしまった。

(――ホテルアソシアットって、桂樹君、貧乏そうだけど、そんな高級な所に行くお金があったのね……)

 

ふと、瑞穂はある情報を思い出した。

(思えば、アソシアットは、先日、高級マグロを一億円で競り落としたって話があったわね。活きのいいのが入ったって、そういう事かしら……)

 

瑞穂は念のため、アソシアットホテルに電話をかけて確認した。

『はい、ホテルアソシアットでございます』

「すみません。今日お勧めのメイン料理を教えて欲しいんですが」

『はい、本日は「マグロのカルパッチョと高原野菜のテリーヌ三種のソースがお勧めとなっております』

「あの、それってニュースで言ってた、競り落とされたっていう」

『左様でございます』

 

アソシアットホテルのフロントの言葉を確認して、瑞穂は電話を切った。  瑞穂の心は決まった。

(若鶏や、ビーフストロガノフは今日じゃなくてもいつでも食べれる。でもマグロは鮮度が命! 今日しかない!)