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SKY CAFE

 幾何学大学 ~花模様~

   

リルは神隠しの森へと向かっていた。  幾何学大学の十樹と桂樹に会う為だ。

――きっと二人なら、カリムの編入を止めてくれるかも知れない。

 

リルの声も届かない場所へ、カリムに行って欲しくないのだ。  ずっと側にいて声を聞かせて欲しいのだ。  リルは、この感情を何ていうのか、未だ知らない。

               

「十樹! 桂樹!」

 

神隠しの森の扉の向こう――幾何学大学へ着くと、リルは二人の名前を呼んだ。

「リルちゃんじゃないか、どうしたんだい? そんなに泣いて」

「え……?」

 

濡れた頬に触れ、初めて自分が涙を流していることに気付く。  まだ止まらない涙に、リル自身が戸惑っていた。  けれど、二人に訊きたい事がリルにはある。

「カリム、二人は何で!? 知ってたの……?」

「?」

 

只でさえ説明不足のリルが泣いていると、余計に分からない。  二人は首を傾げた。

                 

「カリムー! お客様よー」

 

玄関口で、母親が来訪者がいる事を告げる。  カリムは、二階の自分の部屋から出て、階段を下る。  来訪者は思いがけない人物だった。

「ゼロ……? ゼロじゃないか。どうしてオレの家に?」

「リルが来てないかと思って」

 

ゼロは、視線を反らしてカリムに訊いた。  リルの家に行ったが、まだ自宅には戻っていないらしく、誰もいなかったのだと言う。

「ここには来てない。どうかしたのか?」

「いなくなった。待ち合わせの場所に立ってる姿は、校舎から確認したんだ」

「そうか……でも、ここには来ていない。残念だったな。じゃ」

 

ゼロに素っ気無く言うと、玄関の扉を閉めようとした。  リルの事もあり、カリムにとって明らかに恋敵であり、今一番会いたくない人物だからだ。

「ちょっと待てよ!」

「――…っ!」

「――逃げるのか?」

「は?」

「お前、逃げるのかよ!? リルからもオレからも!」

 

想定外のゼロの言葉に、カリムは一瞬何の事か分からなかった。

「ちょっと待て、リルから逃げるのは大体分かるけど、何でオレがゼロから逃げなきゃいけないんだ?」

「うるさい! リルのいる場所、お前なら分かってるんだろう。教えろ!」

「教えてやってもいいけど……」

                

「ここだ」

 

カリムはゼロを神隠しの森へ連れて来た。  二人の目の前には、幾何学大学に通じる巨木がある。

「お、お前、でたらめ言って、オレを亡き者にしようとしてるんじゃないだろうな」

 

ゼロは巨木の迫力に負けて、その責任をカリムのせいにしようとしていた。  カリムは「はあ?」と呆れ顔で言った。

「ゼロは聞いてなかったのか? オレ達、一度行方不明になったことがあったじゃないか」

「それが神隠しの森の中って、信じられる訳ないだろ」

 

ゼロは思う。  過去を思い返してみれば、確かに、カリム、リル、ゼンの三人は一時的にいなくなっていた。  その時、三人が神隠しの森から帰って来たという噂は、村中に衝撃を与えた。

 

当時、まだ幼かったゼロは、それを信じようとせず、ただ三人が身を隠しただけだと、ごく当たり前の事件として勝手に脳内で処理していた。

――その事件の原因である神隠しの森の扉を目の前にして、ゼロはごくり、と喉を鳴らした。

「入らないのか? リルを捜してたんだろ?」

「心の準備を――お、おい、中は安全なんだろうな」

 

もしかしたら、自分はこれで最後なのかも知れない恐怖に、ゼロは襲われた。  ゼロの心の中では、リルを奪った自分を、この扉の中へ追いやって、二度と村へ帰って来られないようにしてしまうのではないか、という想像さえしてしまうのだ。

「ゼロは、オレとリルが会うのは気にくわないんだろ? だからオレは帰るよ」

 

カリムはゼロを置いて、神隠しの森から出て行こうとした。  すると、ゼロはカリムを呼び止める。

「カリム……お前が中は安全だと言うのなら、その証拠を見せろ」

「は?」

 

つまり、カリムが先に入って安全確認をしろと言っているのだ。  カリムはため息をついた。

                 

 

幾何学大学の宇宙科学部では、十樹と桂樹が、ようやく泣き止んだリルを前にして話をしていた。

「何でカリムは、こっちの世界に来ることにしたのかな。今まで通り村に住んじゃ駄目なの?」

 

リルの手には、十樹が入れたホットミルクがある。  リルはそれを一口飲んだ。

「それは私達にも分からないが、カリムはもっと広い世界を見てみたいと思ったんじゃないかな」

「広い世界……それはリルにも見えるのかな」

 

ぽつりと呟いたリルに言葉に、桂樹は言った。

「カリムは、もう一年も前から、ここで必死に勉強していたことは、リルちゃんも知っていただろう?」

「それが、こっちの世界に来る為だってこと、リルは知らなかったよ」

 

何も聞かされないまま、その為に勉強しているカリムを見ていた。  リルが本当に悲しいと思っているのは、カリムから何も伝えられなかった事かも知れない。

「二人は、カリムがこっちの世界に来ること、賛成なの?」

「私達は、賛成も反対もしないよ……こっちに来るというのなら、カリムをサポートするだけだ」

「じゃ、カリムを止めてはくれないのね」

                 

 

カリムが神隠しの森の扉を開けると、中は白銀に輝いていた。  その中へ手を伸ばすと、すっと手が透けて消えたのを見て、ゼロは内心びくびくとしていた。

「ほら、何やってんだ。行くぞ」

 

カリムはそう言ってゼロの手を掴むと、ゼロは「ひぃぃ」と悲鳴にも似た声を発して頭を振った。

「仕方ないなぁ、もう。リルを連れて来るから、そこで待ってろ」

 腰の抜けたらしいゼロを置いて、カリムは扉の中に入った。

――リル……

                 

 

いつもと同じ倉庫に出ると、カリムは三人の話している声を聞いた。

 

どうも自分の事を話している事に気付くと、つい気配を断つように足は忍び足になった。  宇宙科学部の研究室に入ると、リルの背中が見えた。

 

桂樹は、カリムが来た事に気付くと、指を一本立てて、静かにする様カリムに合図を送った。

(……何だ?)

「そう言えば、リルちゃん彼氏が出来たんだって?」

 

桂樹は、いきなりカリムにとって核心となる一言を口にした。

「うん、そう。ゼロって言うの。すごくいい人だよ。リルの事可愛いって言ってくれるの。……でも、今日は待ち合わせの約束から逃げちゃった」

「どうして?」

「分からない」

 

桂樹は、カリムに目配せをした。

「カリムの事はどう思ってるんだ?」

「……!」

 

カリムは、桂樹の事を昔から悪魔だと思っていたが、本人の目前でそんな事を聞くなんて、やはり悪魔だと思った。  桂樹は、そんなカリムを見て、にやりと笑った。

 

今にも逃げ出したいカリムの心とは裏腹に、リルは桂樹の問いに答えた。

「カリムは幼馴染で、将来、結婚する人だよ」

「へ?」

 

十樹と桂樹、そしてカリムも予想外の言葉に目が点になった。

「で、でもリルちゃん、ゼロ君の事は……」

「彼氏さんだよ?」

 

あっさりとリルは言った。

「だって、お母さんが言ってたの。付き合う人と結婚する人は別だって」

「それでその通りにしたのか……」

 

桂樹は、呆然とするカリムの前で「くっくっく」と笑いが止まらない様子だ。

「…………」

――リルらしいなぁ。

 

カリムは肩の力が抜けた。  先程まで、心が鉛の様に重かったのが、フワリと軽くなっていくのを感じる。

「カリム君、いらっしゃい」

 

十樹は、そう言ってカリムを招き入れた。  すると、リルが驚いて振り向く。

「カリム……来てたの?」

 

いざ、リルを前にすると言葉が喉につまる。  だが、言わなければならなかった。  一年前、研究者になると決意したあの時から、ずっと言いたかったことを――

「リル……オレは一生懸命勉強して、この幾何学大学の研究者になるから、必ず迎えに行くから、待っていて欲しいんだ」

 

突然のカリムの告白に、リルは目を丸くしていたが、泣きはらした目をそのままに、こくんと頷いた。

                 

 

幾何学大学から神隠しの森へ出ると、ゼロが待っていて、カリムはゼロに事情を説明すると、がっくりとした表情で森から出て行った。  そして、ゼロとリルが別れたという噂は、リルの口から瞬く間に広がり、三人は、元の三人に戻った。

――そして一週間後

 

再び森に来て、ゼン、リル、担当教師、カリムの両親が見守る中、カリムは幾何学大学付属高校へ旅立った。  扉を通って、カリムは白銀の光りに包まれながら、小さな頃を思い出した。

『リル、大きくなったら、カリムのお嫁さんになるの!』

『じゃあ、オレは立派な大人になって、リルを必ず幸せにするよ』

『うん!』

『それまで、リルは待ってて』

『待ってる。約束ね、カリム』

 

あの時も今も変わらないまま、時は流れてきたんだろう。

 

少しだけ見えてきた未来に、カリムは微笑んだ。

『ずっとね。ずっと約束――』

(終)