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あれは、久しぶりに父親が幾何学大学から帰って来た時の事。 僕に向かって発した最初の一言はこうだった。
「亨、幾何学大学に入学しなさい」
「え?」
玄関先で靴を脱ぎながら、僕、神崎亨の父、保はそう言った。 突然の事に、まだ十一歳の僕は、本を手に持ったまま、その場に立ち尽くした。
何故、いきなり大学の事なんて言ってくるのだろう。 幼い頭で亨は考え、父親に問う。
「今期、入学して来る特待生が二人いる。天才的頭脳の持ち主らしい。しかも、双子でお前より年下の十歳だ。上層部も彼らに期待をしている」
「それと僕と、何の関係があるんですか? 父さん」
神崎亨の父、保は生体医学部という部署で働いている。その中でリーダー的存在らしい。 いずれは自分も、その仲間に入っていくのだと思っていたが、まさか、こんな早くにチャンスが巡ってくるとは思わなかった。
「亨、お前はもう十一歳だ。十分、大学について行く為の資質がある。どこの馬の骨かも知れない双子が、幾何学大学を背負っていく事になったらどうする」
保は、肩を掴んで、真剣な眼差しで僕を見つめた。
「お前なら、その二人を出し抜けるかも知れない。神崎グループの威信を保つ為に、幾何学大学に入ってくれ」
「父さん……何を言っているんですか。僕より頭のいい子供なんていないでしょう。そう言う事なら、頼まれなくても進んで幾何学大学を受験します」
この時、僕はかなり生意気で怖いもの知らずであった事を、後になって振り返る事になる。
☆
入学テスト当日、神崎は噂の二人が大学の渡り廊下を歩いている所を目撃した。 流石双子だけあって、よく見ても見なくても見分けがつかない。 それよりも、双子の着衣が気になった。双子の子供が着ていたのは、神崎が身につけている様なスーツではなく、何度洗濯をしたのか分からない、ヨレヨレの灰色のパーカーだったからだ。
(あんな身なりの奴等に負ける訳にはいかないな……)
神崎亨は、二人とすれ違う時、ずり落ちそうな眼鏡を手で上げて、ふん、と鼻を鳴らした。
「なあ、十樹、今の人知り合いだったか?」
「さあ、顔を見るのは初めてだと思うよ」
耳に、そんな二人の会話が聞こえ、神崎は振り向いて二人に言った。
「僕は、君達より年上の神崎亨だ。特待生だと思っていい気になるな。僕は君達より優秀な成績で、この大学に受かって見せる」
そう宣言した。 すると、二人はきょとんとした眼差しを神崎に向けた。
「残念ですが、その勝負は受けられません。神崎さん」
「何だ?この僕に恐れをなしたのか?」
最初から勝負を放棄した二人を見て、神崎は笑った。
「僕達、試験を受けなくてもいいんだ」
「明日から、この大学の生徒なんです」
「何だと!? 不公平じゃないか」
「僕達にそう言われても……」
神崎が二人のパーカーに掴みかかろうとした時、バタバタと報道部と書かれたワッペンをつけている、所謂、この大学のマスコミが駆けつけて来た。
「あーいたいた。カメラこっちよ」
マイクを手に持った、大学ニュースを報道しているメンバーが双子を取り囲んだのである。
「なっ……な」
どんっとマスコミに押され、突然、輪の中心から半ば強制的に外されてしまった神崎は、その場で尻餅をついてしまった。
「君達ね! IQ170の双子は! えーと、白石十樹君と桂樹君?」
「はい」
神崎は、その時初めて二人の名前を知った。 二人は年齢的にもテレビに映るのは初めてなのだろうが、淡々とインタビューの質問に応じている。 悔しさを顔に滲ませながら、廊下の床に座っていると……
「大丈夫ですか?」
そう声が聞こえた。
差し出して来た手の主を見上げると、白石十樹だか桂樹だか分からない、IQ170の双子のどちらかだった。
(僕より年下の人間の手を借りることなんて出来るか!)
「君の手を借りる事無く、僕は一人で立ち上がれる」
差し出された手を、ぱんっと弾き返して神崎は立ち上がった。
「……余計な世話をしました」
てっきり睨みつけてくるかと思いきや、神崎の予想とは全く逆の反応をIQ170は見せた。
「分かっているならいいさ」
(僕は脳外科医の神崎保の息子だ。昨日、今日、幾何学大学へ入って来る様な身分の持ち主と自分は格が違うんだ。)
ぺこりと頭を下げたIQ170を神崎亨は見下していた。
「十樹! 何やってんだ。オレ達早く学長室に行かないと」
マスコミの面々を掻き分けて、十樹と名を読んだ、もう一人のIQ170が神崎の元に来た。 そして、神崎に言った。
「一般受験者の人?」
「そうだ」
この十樹と言う名のIQ170とのやりとりを見てもいないのに、何かを察したのか、神崎を訝しげに見た。
(――生意気な奴だ。もう一人の名は桂樹と言ったか……。)
「こんな所で油を売ってていいのか? あと五分で試験が始まるぜ」
その言葉に時計を見て、僕は慌てた。桂樹とか言う奴の言う通りだったからだ。
「今日は、このくらいにしてやる! 大事な用があるからなっ!」
生意気な双子にそう言って、神崎は足早に試験会場へと急いだ。
「何だ? あいつ」
「神崎亨――幾何学大学病院の脳外科医の息子だよ」
「十樹、知ってたのか」
「さっき、裏口入学者のリストを見たんだ」
☆
試験科目は五教科であったが、神崎亨は一科目目から苦戦を強いられていた。 神崎は、幼い頃から父親の勧めで英才教育を受けていたが、幾何学大学の試験は、その教育より遥かに高いレベルだった。
(――くそっ! こんな筈では……。)
神崎は歯をくいしばって、答案用紙を睨みつけた。空白のままの答案用紙を前に、頭を抱えていると、後ろから来た試験官が何かを拾うフリをして、神崎に話かけて来た。
「君は、神崎先生の息子さんだね。これを――」
試験官が一枚の用紙を、神崎の座っている机の上に落とした。 小さなその紙には、問題の答えがそのまま記してあった。
「――っ」
(――これは……いいのか?)
神崎は、幼い頭で迷ったが、迫って来る試験の終了時刻を前にして、慌てて答えを書き写した。
(そうだ。僕の父は、この大学の脳外科医なんだ)
特権階級である自分を、そう納得させて、神崎は周りの受験生が頭を悩ませている中、堂々と不正を受け入れた。