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SKY CAFE

 幾何学大学 ~絆~

   

幾何学大学内では、神崎のクローン製造疑惑により騒然としていた。  研究員はバタバタと走り回り、教授と呼び名がついた者さえ、一連の騒ぎの首謀者を一目見ようと、講義や授業を放って廊下に出て来ていた。

 

十樹は、別に願ったわけでもないのに、ゼンの元へ行く際、大学警察の集団と神崎亨、そしてチームのメンバーが、それぞれの表情を持って拘置所に連れて行かれる様を見た。その途中、偶然にも十樹と神崎の目が合ったが、十樹はすぐに目線を外した。

「白石――っ! あのディスクを送りつけたのはお前だろ! 大学警察、本当はこの男が全ての元凶なんだ!」

「静かにしろ!」

 

大学警察は、レーザー銃を神崎亨に向ける。神崎は、ぐっと唸って口を閉ざした。十樹達は神崎を無視してゼンのいる特別病棟へ向かった。

――神崎は、十樹のしかけたトラップに気付かなかった時点で敗北している。

 

桂樹は、そう思いながら十樹の後に続いた。

                 

 

生体医学部と共に、神崎チームが捕まった為、その管理下にあった特別病棟への入り口には誰もいなかった。   神崎がトラップに引っ掛かったお陰で、誰の目にも触れずにゼンに会いに行ける。  瑞穂の無事を確認していないが、彼女の事だから、多分上手く立ち回っているだろう。  十樹は医局にある鍵をとり、先へ進んだ。

                 

 

特別病棟に入り、ジム・カインの家へ向かった。

「ゼン」

 

十樹が、ジム・カインの家の庭にいる、ゼンの後ろ姿を見かけて声をかけた。

「遅いよ。迎えにくるのが!」

 

ゼンが、桂樹の下っ腹にパンチしながら抱きついたと同時に、ゼンの瞳から涙がこぼれる。

「おいおい」

 

普段、こんな風に泣く事はないのだろう、明るいゼンの変化に桂樹は戸惑った。 ゼンは桂樹の白衣を、ぎゅっと掴んだ。

「記憶……戻らないんだ。どれだけ頑張っても無駄なんだっ」

「ゼン……」

 

ゼンは、ひとしきり泣くと、桂樹の白衣で鼻をかんだ。 桂樹の白衣が一部、鼻水で濡れる。

「ゼン、あーもう、こいつ何するんだよ」

 

桂樹が自分の白衣の裾を持って「あーあ」と、がっくりうな垂れた。

「十樹、白衣を交換しようぜ」

「絶対に嫌だ」

 

十樹がきっぱりそう言うと、桂樹がぶつぶつと独り言を呟いている。

「ゼン、ジム・カインは今、どこにいる?話がしたいんだが……」

「あっちの方で、オレの家造ってんだ。一緒に住むのはおかしいって」

 

涙を腕で拭いながら話す。  十樹はゼンの背中を軽く叩いて言った。

「まだ、泣くのは早いよ、ゼン」

 

ゼンは、ジム・カインの元へ行く十樹達の姿を見送って、ぐっと泣くのを堪えた。

「十樹、ゼンに希望を持たせていいのか?」

 

ジム・カインは、もう何年も前に記憶をなくしている。  神崎の研究室にあるだろうメモリーをもってしても、正常な状態に戻るかどうか分からない。  十樹は、十分その事を分かっているはずなのに。

 

せめて、この手にメイン・コンピューターがあれば、また別の話だが……。

「やってみないと分からないだろう?」

 

十樹は桂樹にそう言って、柔らかに笑った。

                 

 

トントンカンカン、森の奥から木槌の音が聞こえる。  その音を目指して歩いていると、ゼンの言う通り、ジム・カインの姿があった。

「ジム・カインさん」

 

大工仕事に熱中しているジムに声をかけると、「ありゃあ」と驚いた様子で手を止めて、十樹と桂樹に駆け寄った。

「兄ちゃん達、また来たんか」

「こんにちは」

「ん……?兄ちゃん達、見かけんと思っとたんが……よそ者だったんか?」

 

ジム・カインは、十樹達が身につけている白衣を見て、そう言った。

「幾何学大学の者です」

「はて……?幾何学なんとか……?」

「そんなことより、ゼンのことですが……」

「ああ、あの坊主か」

「あなたの息子さんの」

 

十樹が、そう言った途端、ジム・カインは笑った。

「確かにあの坊主は可愛いよ。オレの息子にしたいぐらいだ……でも、あいつにはきっと別の両親がいるんだろう……勝手にオレの息子にしちゃあいけない」

 

十樹の言葉を冗談として受け止めて、ジム・カインはカラカラと笑った。

「あの坊主は迷子なんだろ?帰るところがないって言うから、こうしてゼンの家を建ててやろうと思ってんだ……けどな」

「…………?」

一瞬、口を閉ざして、ジム・カインは続けた。

「こんな家を造ってやろう、あんな家を造ってやろうと、色々考えているんだが、どういう訳だか、オレの住んでいる家と同じ家になっちまうんだ。……どういう訳だかな」

 

ジム・カインは、この特別病棟で築いてきた記憶と、ゼンと一緒に暮らした記憶、そのどちらかを選ぶとしたら、どちらを選ぶだろうか。  メモリーで甦った記憶は、ここの生活の記憶を自然に消してしまうだろう。  すり替えられた記憶の中で、彼は幸せなのだ。

「あなたは、この村で一生暮らしていくんですか?」

「そうさなぁ」

 

ジム・カインは、遠い眼をした。  この特別病棟には、自ら進んで入って来た者達もいるだろう。  全てを忘れたい。もう一度、全てをやり直したいと願ったものもいるはずだ。果たしてジム・カインはどう思っているのだろうか。  この温かくも冷たい空間で、満足しているのなら――。

「十樹……十樹!」

 ぼんやりと考え事をしていると、桂樹が叱るように名前を呼んだ。

「何だ?」

「お前まさか、ジム・カインの記憶を戻さないつもりじゃないだろうな」

「桂樹は、どう思うんだ?」

 

珍しく、十樹が迷った目をして、桂樹を見返した。

「オレは、本人の望む方で!」

「それは答えになっていない」

 

ジム・カインに記憶を返したところで、幾何学大学のような環境で生きていけるとは言いがたいのだ。  そして、元々いたカーティス村にも帰る事が出来ない。  妻のことも息子のことも忘れてしまった方が、幸せだったはずなのだ。

 

今の幾何学大学の環境を見ても、この広大な擬似空間とは違い、「四季」との紛争の影響が少しずつ出て来ている。ある意味、ここは守られたシェルターのようなものだ。

「ゼンのことを、息子として受け入れて貰えませんか?」

「それは、あの坊主に聞かないとなぁ」

「ゼンは、あなたの息子になる事を望んでいます」

「そうさなぁ……それもいいかも知れんなぁ」

 

ジム・カインは、再び遠くを見て、懐かしむように言った。

「十樹!桂樹!」

 

その時、ゼンが息を切らして走って来た。  ジム・カインは、優しい顔をしてゼンを見た。

「なぁ、坊主。オレの息子になるか?」

「とーちゃん、記憶が戻ったのかよ」

 突然のジムの言葉に、ゼンは驚く。

「いいや……ただ、ゼンを見とると、何か懐かしく思えてよ。なあ、返事は?」

「そんなの……」

 見開いた瞳に、涙が溢れる。

「決まってんだろ。オレはとーちゃんの息子なんだから」

 

ゼンは、ジム・カインの胸に飛び込んだ。  十樹と桂樹は、その様子を見て安堵の息をついた。

                 

 

それから十樹と桂樹は、ゼンがここに残る意思を確認して、今後、ジム・カインとどう生活していくかのレクチャーをし、帰る頃には、もう日も暮れかけた頃だった。

「それじゃ、ゼン。カリムとリルには伝えておくよ……あと、これを持っていてくれないか?」

 

十樹は、白衣から一本の鍵を渡した。  この特別病棟の擬似空間と、幾何学大学をつなぐ大事な鍵だ。

「くれぐれも失くさないように」

                 

 

宇宙科学部の研究室に帰る途中、大学内で瑞穂に出会った。  生体医学部のメンバーは、全員大学警察に捕らえられ、調書をとられているはずだ。

「大丈夫か?」

 

桂樹が訊く。

「もう、神崎のせいで巻き添えくらったわ」

 

瑞穂は、大学警察によって身辺調査を受けた後、「クローン製造」に関わっていないか、しつこく尋問を受けたらしい。

 

瑞穂が、この件に無関係だと分かると、すぐに解放されたとのことだった。  全ては十樹のディスクのせいなのだが、瑞穂に話すことはないだろう。

「私の他、何人かはもう解放されたわ。良かったー、一日中、レーザー銃をつきつけられるなんてご免だから」

「災難だったな(十樹のせいで)」

 

桂樹は瑞穂に、労いの言葉をかけた。

「本当、最近いい事ないったらないわ。そうだ、白石君達、豪華ディナーのこと忘れないでよね。じゃ」

 瑞穂は片手を挙げて、二人に軽くウインクした。

「災難だな(オレ達)」

「瑞穂には、色々借りがあるからな。仕方ない」

 

十樹は、ふっと笑った。

 

その時、桂樹はある事に気付いた。  亜樹が目覚めてから、十樹の様子が変わったように思えたのだ。

――――…余裕があるというか。

 

亜樹だけじゃなく、カリムやリルやゼンのお陰かも知れない。以前は、十樹と何かと衝突していたのに、ピリピリとした空気が穏やかなものに変化した。  まあ、いい事なんだろう。

「♪」

「何だ? 桂樹」

「別に」

 

桂樹は笑みを浮かべる。  それを十樹は不気味に思いながら、研究室の視紋チェックを済ませ、中に入った。

「おかえりー」

「お帰りなさい」

 

皆が研究室の主を迎える。  そこは暖かい空間だった。

「ただいま」