Now Loading...
カエデの葬儀が行われる二週間前のこと。
シキはカエデの消滅から立ち直れずにいた。
「はぁ……」
今日何度目か分からないため息をつく。
カエデの葬式の準備や、長がいなくなったことで起こったいさかいを鎮めるための打開策など、考えることは 山積みだった。
だがどんなに忙しくても、仕事の合間に頭に浮かぶのはカエデのことだ。
一通りの仕事を片付け、ひとたび一人になると、心にどうしようもない寂しさが胸の内に広がる。時には涙ぐんでしまうこともあった。
しかし泣いてしまえば一晩中泣いてしまうことは目に見えていて、周囲の人を心配させまいと、極力泣くのを我慢 している。
今日もシキは胸を塞ぐ苦しさを飲み込み、事務仕事に没頭しようと努力していた。
「ねぇーシキー。仕事終わったー?」
シキが切り株の上で書き物をしている後ろで、退屈そうにチビカエデが体操座りをして、そこら辺りをゴロゴロと 転げ回っている。
彼女は前長、カエデと何故か同じ名前で生まれてきた次代の長と目される人物だ。 しかしそうと知らなければ、一見は六、七歳の、くせ毛の目立つ少女にしかすぎない。
草まみれになって転がるチビカエデは、長などといった立場から無縁のように思える。
「もう少し待っていて下さい。もうすぐ終わりますから」
「えぇー。まだやるの?」
口を大きく開けて、チビカエデは抗議する。
タイカとシキが忙しい一方、生まれたばかりの彼女にはほとんどやることがない。せいぜいやる事といったら、この領地に現在住んでいる霊のリストを覚えたり、パトロールを兼ねて散歩に 出掛けるぐらいだ。
「一昨日、カエデ様に渡した霊のリストは……」
「もう覚えた」
「ここ周辺の地理は……」
「もう覚えたー!」
両手足をバタバタと動かしてチビカエデは陸にうちあげられた魚よろしく跳ね回る。
見た目に反してかなり頭のいいチビカエデは、たった二週間でシキが出した課題を全てこなしてしまっていた。 性格などは前長のカエデと似るところはないが、頭が良いところは同じのようだ。
そうふと考えると、再び胸がしめつけられたように苦しくなる。
――まただ
少しカエデのことを考えただけで気分がひどく落ち込んでしまう。 この苦しさは、一体どうすればなくなるのだろう。
「あー。だりー……」
心底疲れが滲みでる声と共に姿を見せたのは、代理長タイカだ。
「タイカだ! お帰りー」
草の上でうつぶせていたカエデは、タイカが帰って来た途端、がばりと身を起こし、タイカのもとに寄る。 まるで主人が帰ってくるのを待っていた犬を見ているようだった。
「おい、チビ。受け取れ」
足にじゃれつくチビカエデを邪魔そうにあしらいながら、タイカはシキにノートを放る。
シキは危ういところでノートを受け取った。
「これで、最後だからな」
カエデの葬儀を行うことが決定してからというもの、タイカは人間に化けて葬儀の手順を調べに町へ降りていた。 本を買う程の金銭を稼ぐには、最低でも一ヶ月は働かなければならない。
だが生憎、今はそんな時間を割く余裕はない。 そこで、無料で調べることの出来る図書館を利用した。
借りるためのカードを作ることの出来なかったタイカは、わざわざ本の内容を紙に書き写し、森に持ち帰るという 面倒な事をしていたのだが、ようやくそれも今日で終わりとなる。
「ねーねー、タイカ。今度はこっちの服着てみよーよー」
チビカエデは懐から一冊のファッション雑誌を取り出し、あるページを開いてタイカに見せる。
「ぜってー嫌だからな! お前が勧める服は二度と着るか!」
チビカエデの手にあるファッション雑誌は、カエデが生前度々持ち帰っていた品だった。 それを偶然見つけたシキがチビカエデに見せたところ、すっかりはまってしまい、今や雑誌を持ち歩くように なってしまったのだ。
そんなチビカエデは以前、町へ出掛けようとするタイカに「この服で町に行って来て」、と雑誌を見せて懇願した ことがあった。
チビカエデがタイカにお願いした服は、猫耳がついたルームウェアだったのだが、人間世界の事について全く無知 だったタイカは、あっさりとそれを了承した。
そして当然のごとく周囲からは痛い目で見られ、後にその事を知ったタイカは二日間、恥ずかしさのあまり、 自室に篭って出てこなかったという。
以来、タイカはチビカエデに苦手意識を持つようになってしまった。 恐らく今日の外出も、タイカは相当の勇気を有したに違いない。
「えぇー、タイカ、あの猫耳すごい似合ってたのに……。今度はまた新しいものに挑戦してみようよ!」
「ふざけんな! あっち行きやがれ!」
しつこくチビカエデは雑誌を手に、タイカに詰め寄る。 それをタイカは心底迷惑そうに逃げ回っている。
端から見れば、その光景は微笑ましいことこの上ない。 思わず頬が緩む。
「これだけ知識が集まれば、段取りが決められそうです。ありがとうございます」
「本当にありがとうと思ってるなら、こいつを止めろー!」
雑誌を突きつけて来るチビカエデを押し戻しながら、タイカは悲痛の叫び声を上げていた。