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――おかしい
少年は町並みを眺める隣の女性を横目で見て、頭を抱えていた。
少年はやや長めの漆黒の髪を持ち、涙色の透き通る目をしている。
一方女性は、ウェーブのかかった白い髪を腰まで伸ばし、瞳は緑玉の色。 目じりには、この森の長であることを示す刺青が彫られている。 外見は十七、八歳といったところか。 少女を脱しかけた女性らしい丸みを帯びた体に、肩を出した巫女衣装は、なかなか魅惑的だ。
女性の名前を、ユキと言う。
ユキは少年にとって自分を生んでくれた親であり、そして想い人だ。
――しかし
少年――カエデは一向に振り向いてくれないユキにため息をつく。
カエデがこの世に精霊として生まれて三十年が経つ。 三十年もユキと共にいるのにもかかわらず、彼女はカエデの気持ちに対して沈黙を貫いている。
ユキはとっくにカエデの恋心に気付いているはずなのだが、是とも否とも言わない。
一体、何を躊躇っているのだろう。
――オレの何がいけないんだ?
正直、自分の腕っぷしと容姿に関しては、自信があった。 腕っぷしは町で剣の達人であった霊を、数分も経たない内に負かした程。 容姿は都の姫君の霊に見初められた程だ。
それなのに――
「どうしたの? カエデ。そんなに私を見て」
カエデの胸の内を知る由もないユキは、そんな自分を不思議そうに見つめる。
「いや、何でもないよ。それよりユキこそ、そんな顔してどうしたんだ?」
さりげなくカエデは話をそらす。
実際、ユキの顔色はあまり優れなかった。 元々白い肌であるのに、いつもよりさらに白い。
カエデが訊くと、ユキは「えぇ」と呟いて下を向く。
「他国との戦争があるの、知ってるでしょう? 一体、何人の人が犠牲になるのかと思って……」
彼女の言葉を聞き、カエデは先日のことを思い出した。
――事の発端は二週間前のこと
森に一人の呪術師が、ユキを訪ねて来た。
「呪術師の劉諺(りゅうげん)と申します。失礼ですが、貴方はユキ様でお間違いないでしょうか?」
そう言って訪ねて来たのは、細い目をした狐のような容貌の男性だった。
灰色の長髪を後頭部で一つに結んでいる。
「えぇ。私で間違いありません。何のご用件でしょうか」
「――実は、ユキ様にお力添えをお願いしたく、こうして参上しました」
それは事の発端からさらに一週間前にさかのぼる。
ユキが治める領地の国を「長門(ながと)」という。 その国には、辺り一帯の権力を持つ大名が住んでいた。
大名に嫁いだ妻は体が弱く、二人の間には一人しか子供がいない。 当時、血筋を何よりも重んじる時世であったが、大名は複数の妻を娶ることをよしとはしなかった。
そのため、二人の間に生まれた一人娘――鈴は大切に大切に育てられた。 このままずっと城の中で暮らすものだと思われていた。
しかし鈴が十五歳になったある時。 鈴はいきなり「外の世を知りたい」と言い始めた。 大事な一人娘が故に、城外にあまり出たことのなかった鈴は、婚姻の儀を挙げる前に、一目世間を見てみたくなった のだろう。
なんと説得しても鈴は折れず、両親の方がとうとう首を縦に振ることになった。
鈴は「長門」の近くにある「石見」という国の有力貴族の屋敷で一年、使用人として働くことが決定した。
当然、身分を隠して働くのだから、城に居たときのように、誰も守ってはくれない。 誰の力も借りず自立する力を身につけることが、鈴の目的だった。
ところが鈴がその国の屋敷で働き始めて数ヵ月後、彼女は何かの手違いにより、屋敷の主人に斬り捨てられた。
鈴の訃報を知った大名は怒り狂い、主人に謝罪を要求した。 だが主人はそれに応じず、最終的に挙兵することになってしまったのだった。
「戦乱の地は、長門と石見の狭間。町から大した距離は離れていない故、下手をすれば民衆を巻き込んでしまう 恐れがあります。そこで私達 呪術師は、町を覆う結界を張るよう、ご命令を承りました」
「……それで、私にその結界を張る手伝いをして欲しいと。そういうことですか?」
「ご明察。恐れいります」
この時代、自然災害や戦が起こる度、霊力を持つ呪術師はその地の精霊と交渉し、力を貸してもらう。 そんなことが常日頃、行われてきた。
――だが
「長門が狭間の地で石見の侵入を許してしまえば、多くの者達が犠牲となります。ユキ様、戦など、我ら人間の 勝手とお思いでしょうが、何卒、ご助力願えませんか」
確かに町を覆う程の結界をなれば、町に現在いる呪術師全員をかき集めても、張れるものではない。 万が一、石見が攻めて来れば長門は占領され、土地を奪われる。 そうなれば、石見に住む民衆は奴隷のような扱いを受けるだろう。
ユキとしても、助けたいのは山々だった。
「ごめんなさい。それは、私の一存だけでは決められません。少し、時間を下さい」
人間の戦に加わるとなれば、ユキの判断だけで了承していい問題ではない。
「分かりました。では一週間後、もし助力して頂けるのなら、文をこちらに寄越し下さい。
このような願い出をした無礼をお許し下さい」
そう言い残し、劉諺はその場から去って行った。
――それからというもの、森では幾度となく会議が繰り返されている