Now Loading...

Now Loading...

SKY CAFE

 幾何学大学 ~幼き日に

 

見晴らしの良い丘陵地帯、居住区第六区画にある高領小学校では、小学一年生の生徒達が数学の授業を受けていた。  とある女性教師が、この高領小学校に赴任してきたのは、つい先日の事。 当然の如く、担任になったばかりのこの女性教師が、白石家の十樹と桂樹の事等知る訳はなかった。

 

数学の授業中。  僅か六歳の子供達は、何の疑問を持つ事もなく熱心に足し算から教える教師の言葉に耳を傾け、自らに解けそうな問題があると「はい」と手を挙げて、素直に答えていた。

 

約一名を覗いて。

 

ぐーすーきゅるるーと、少々特徴的な寝息を立てて夢の中にいるのは、白石桂樹だった。  その寝息を教卓で聞いた女性熱血教師は、黒板にチョークで答えを書こうとした手を止めて、信じられないものを見た、といった表情で生徒達を見た。

 

女性熱血教師、相沢朱音は、クラスの出席者名簿を見て、眠りに落ちている生徒の名前を確認した。

「ねえ、桂樹! 起きて! 先生がこっち睨んでるよ」

 

隣の席に位置する白石十樹が、肩をゆすって桂樹を起こす。  しかし、朱音は、つかつかと靴音を立て、眠っている桂樹の元へ来ると、寝ぼけ眼の桂樹に言った。

「白石桂樹君! 起きなさい! 君は数学の授業を何だと思ってるの!?」

「――へ? 数学?」

 桂樹は朱音を見て答えた。

「数学とは、狭義には伝統的な数論や、幾何学等の分野に於ける研究と、その成果の総秒としたものだ」

「え……?」

 

朱音は、一瞬、桂樹が何を言っているのか理解出来ず目が点になった。

「そして、それらの成果を肯定的に内包する公理と推論からなる論理と理論の体系を指していうものだ」

「――…」

 

迷いなく「数学を何だと思っている」と言う朱音の質問に答えた桂樹に、朱音が言葉を無くしていると、「先生!」と隣の席の十樹が手を挙げて言った。

「え……? 何? 十樹君」

「桂樹の言う事の補足です。数学は、量、構造、変化、空間といったものを対象とした学問だと思います」

 

十樹は、簡潔に数学という学問について答えると、桂樹がさらに付け足した。

「十樹、お前なあ……いくつかの仮定から初めて、決められた演算的数論を進めることで得られる体系を研究する学問と言えるかも知れないだろ?」

 

相沢朱音は、二人の間に挟まれて、少なからず動揺していた。  十樹と桂樹の会話についていけなかったのである。

「先生は数学について、どう思われますか?」

 生徒達の視線は、無言のままの朱音に向けられることになった。  皆、じっと見つめて朱音の発言に期待をしていた。しかし、返ってくる答えはない。

「――あとは、自習にします」

 

ようやく返せた答えが、それだった。  朱音は、生徒達にそう告げると、ガラガラと旧式の木造校舎の扉を開けて、授業を終了した。  廊下に出ると、「やったあ!」と勝利の言葉を口にする生徒達の声が聞こえる。

 

朱音は勝負に負けたのだ。

 

渡り廊下を歩き、職員室に辿り着くと、朱音は深いため息をついて、自分を取り戻そうとした。

 

――何なの!? あの子達は!

 

握りこぶしをつくり、机を勢い良く叩くと、周囲の教師が朱音に言った。

「その様子は……白石兄弟にやられましたな」

 

何もかも分かっているかの様子で、朱音の機嫌を伺ってくる教師を見た。

「……あの子達は、一体何者なんですか?」

「小学校一年の子供ですよ。しかし、あの子達は天才と呼ばれる子供なのかも知れませんね。相沢先生の前にいた数学教師は、自信喪失して、この学校を辞めていかれました」

「はああ!?」

 

二人の教師が話した会話は、その場にいた校長にも声は届いていた。   校長は重たい腰を上げて朱音に言った。

「我々も、白石兄弟を正直持て余しているんです。彼らには彼らの才能を伸ばせるような場をつくってやるべきではないか、と。また、それが、職員全員の望みかも知れません」

 

朱音は開いた口が塞がらなかった。  つまり、それに意味するところは、この学校を追い出して、他の学び屋に転校させると言うものだったからだ。僅か六歳で、小学校の校長にそこまで言わせてしまう、あの二人は一体――まだ、一年生、六歳であるというのに。

「あの……お言葉ですが、小学校という成長の過程には、勉学だけではなく、協調性や社会性、規則等を学ぶ場でもあります。彼らにも当然、当たり前の小学校生活を送る権利があると思いますが」

「それが可能であるなら、そうしたいのだが、あの二人のいるクラスは極端に授業に遅れが出ており、周囲の生徒の親御さんから苦情が出ているのです」

「…………」

「さあ、朱音先生。次のクラスの授業の用意をお願いします」

 

つまり、あの二人の事は無視をしろと。

 

周囲にいる教師達は、黙って各々の役割をこなす為、朱音をちらりと見ると、もう他人事の様にデスクに向かっている。  なかなか仕事に戻らない朱音の様子を見た校長は、やれやれ、と申し訳なさそうに言った。

「取り合えず、今度の日曜、彼らの両親を呼びましょう。相沢先生も同席して下さい」

「それは、白石兄弟を自主退学させる為ですか?」

「そうです」

「――だったら私は、賛同しかねます」

 

校長のデスクに両手をついて、朱音は職員室中に聞こえるような大きな声を出した。  頭が良すぎるから、という理由で、白石兄弟を学校から追い出す様な、理不尽な事に賛成できるはずもなかったからだ。

「では、相沢先生、何かこの問題を解決する方法はあるのですか?」

「それは……」

 

何も思いつかない自分が歯がゆかった。

「まだ、今は分かりませんが、二、三日中に私が考えます。時間を下さい」

 

周囲の教師達が沈黙する中、校長はため息をついた。

「分かりました。待ちましょう。但し、一週間の間に何か解決策を見つけて下さい。我々も、白石兄弟のクラスの親御さんに急かされておりますので……」

「はい」

 

朱音は、何かを覚悟した様に、真剣な眼差しで校長を見て答えた。

                  

 

その日の授業後、朱音は早速行動に移した。  校長に許可を取り、白石兄弟宅の家庭訪問をする事になったのだが、彼らの家を知らないどころか、この周辺の土地勘すら持ち合わせていなかった。 仕方なく、白石兄弟に案内をして貰う為、家に帰ろうとする彼らを呼び止めた。

「何ですか?先生」

 

十樹が、呼び止めた朱音を見て、不思議そうに言った。桂樹は十樹に「早く帰ろうぜ」と腕を引っ張っている。

「今日、先生、十樹君と桂樹君のご両親に大切なお話があるの。お家まで一緒に行っていいかなあ?」

「それは構いませんが……家は」

 

十樹は、何かを言いかけたが、それ以上の事を口にはしなかった。 桂樹に腕を引っ張られて、ずるずると歩みを進める。

「何? 先生、オレ達の家に来るの?」

「案内、よろしくね」

「分かった、着いて来いよ」

 

桂樹がそう言うと、十樹にもう迷いはない様子だった。 二人は家に帰る途中で、道端に咲いている花の花びらをちぎって数を数えたりしながら家に向かった。

――何よ。普通の、どこにでもいる子供じゃない。

 

朱音は、彼らの子供らしい様子を微笑ましく見て安心した。  だがそれは、二人の家に辿り着いた瞬間、完全に裏切られる結果となった。

「ここだよ」

 

小高い丘をのぼった所に彼らの家はあった。  家を見て朱音は絶句する。

「お父さん、お母さん、お客さんだよ」

 

そう言いながら、ブルーシートの扉を開けて、桂樹が当たり前のように入っていくそこは、朱音の見たところ、家とは呼べる外観ではなかった。

 

トタン屋根に、古木の壁、隙間風の入ってくる風通りのよすぎる居間らしき所に通され、ダンボールで作られた椅子に座って二人の両親を待つ。  朱音としては、二人の両親は頭の良いお金持ちという印象を自分勝手に持っており、秘かに出されるだろうお菓子に期待していたりもしたのだ。

 

――これは、普通の机なのかしら?

 

朱音が目の前の机を叩いてみると、やはり、その机ですらもダンボールで出来ていた。

「ここは……二人の秘密基地とかではないのよね?」

「家です」

 

十樹はぽつりとそう言った。

 

恐らく十樹は、この家を見せる事をためらっていたのではないかと朱音は推測する。  良く見たら、二人のシャツの襟元は、少し汚れているようにも見える。

「お兄ちゃん達、お客様なの?」

 

その時、奥からまだ幼い女の子が顔を出した。

 

――あら、可愛い……。

 

女の子は、身長より少し大きめのオーバーオールを着ていたが、顔立ちや仕草は、まるで天使のような愛らしさだった。 思えば、白石十樹と桂樹も同様に、どこか気品のある顔立ちをしている。故に、朱音は彼らを「お金持ちの子供」だと勘違いをしてしまったのだが……。

 

一体、両親はどんな人なのだろう?

「あれ? お父さんとお母さん、両方ともいないや」

「また、あの場所に行ってるんじゃないか?」

 

十樹が桂樹に言う。

 

朱音の興味の対象は、両親へと移っていたのだが、不在と分かり残念な気持ちと共に安堵もした。

「仕方ないや、先生、僕達ちょっと出掛けるので、ここで待ってて下さい。多分、すぐに帰ってくるから……」

「何か用でもあったなら、先生も出直すけど……二人はどこへ行くの?」

 

朱音がそう問うと、二人は。

「図書館へ行ってきます」

「バイトに行くんだよ」

 

口々にそう言った。