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それはタイカが長に就任してから二週間ほど経った頃。
教育係の目を盗んで、タイカが森の中を散歩していた時だ。
(ん……? あれは誰だ?)
向こう側からこちらに向けて歩いて来る、見慣れない人物を発見した。 自分と同じぐらいの歳だろうか。 黒い光沢のある髪に、涙色の双眸。
そしてそいつの手には……。
(……何だ? みたらし団子?)
彼が手に持っているのは、人間界にしか売っていない食べ物だ。 それをそいつは美味しそうに頬張っている。
(もしかして、人間が迷い込んで来たのか?)
その時は、人間が森の中に入って来ることが多かったため、ごく当然にそう考えた。 だが妙に気になって、「おい」と声をかけていた。
目の焦点がタイカに合う。
(――ってことは、霊か何かか……)
人間の目には、自分達、精霊や霊を見ることは出来ない。
こいつからは大した力も感じないため、おそらく後者だろう。
「お前……見ない顔だな。新入りか? 名前は何ていう?」
「オレは狐三郎(ごんざぶろう)。まぁ……新入りだ」
そいつは曖昧に頷く。
「狐三郎? ……あぁ、霊だから人間の名前なのか」
霊としてやって来る者達は、皆、人間界で生きていた頃の名前のままやって来る。
別に不思議な事ではない。
「あんたの名前は?」
狐三郎が訊き返す。
「オレはタイカっていう。よろしくな」
狐三郎が新入りだというなら、度々会うこともあるだろう。 同じ歳ぐらい、ということで親近感を覚えた。
「タイカ……?」
「あぁ、そうだが?」
狐三郎が不思議そうに名前を繰り返す。 すると、何か会得したのか、「あぁ、そうか……」と呟きをもらした。
「何か変な事を言ったか?」
「いや、そうじゃない。……じゃあオレはこれで失礼するよ」
焦ったような声音に、妙な引っ掛かりを感じ、タイカは思わず狐三郎の肩を掴む。 水色の瞳が戸惑ったようにこちらを見た。
何もかも見透かすような、透き通る瞳――
だがタイカの視線は、瞳ではなく、目じりの赤いアイラインに向かった。
「お前……まさか……!」
気付けばタイカは腰にさしてある刀を握り、振り下ろしていた。
相手は素早くそれをかわす。
思った通りだ。
「お前、どっかの区域の長だろ。名を明かせ」
目じりの赤いアイラインは、長であることの証だ。 その証拠に、タイカの刃を見事にかわしている。 先程はさほど強い力を感じなかったが、今の動きで、相当の力の持ち主であることがうかがえた。
「何の話だ? オレは狐三郎と先程名乗ったはずだが……」
「とぼけんな。狐三郎なんて名前の長、いるわけねぇだろうが」
これでも各地の名だたる長に勝負を挑んできたタイカだ。大抵の長の名前は知り尽くしている。
「てめぇが長ってことは……さては、偵察にでも来たってことか? 勝手に人の領地に入って、 ただで済むと思うなよ」
ここ二週間ずっと勉強ばかりで腕がなまっていたところだ。ちょうどいい。 どこの長であっても肩ならしぐらいにはなるだろう。
タイカは狐三郎の「待ってくれ」という制止に耳も貸さず、剣を突きつけようとした――が。
「ん……?」
突きつけたはずの相手が、目の前にはいなかった。
――次の瞬間。
「っ!!」
自分の膝裏を不意打ちで蹴られた。 タイカは立つことが出来ず、その場に座り込む。
「……あ、しまった」
いつの間にか背後にいた狐三郎は、思わずやってしまったと言わんばかりに顔をしかめた。
そんな狐三郎の態度に、タイカの中でふつふつと怒りがこみ上げる。
――しまった、だ?
今まで誰に対しても膝をついたことなどなかった。 ありとあらゆる長を屈服させてきたタイカだ。 それなのに、狐三郎とかいう奴は、そんなタイカを猫を払いのけるような仕草で、いとも簡単に 膝をつかせた。
そんなことあってはならない。自分は常に勝ち続けなければならないのだ。 タイカのプライドが、負けることを許さない。
「……じゃあ、そういうことで」
そう言ってそそくさと狐三郎はその場を去っていったが、タイカは気付くことのないまま、しばらく そのままだった。
――それからというもの、後に狐三郎、改め隣町の長、カエデと知ったタイカは、ほぼ毎日のように カエデの許を訪れた。
風が強い日も。
「勝負しろ!」
陽が照りつける日も。
「勝負しろ!」
大雪が積もった日も。
「勝負しろ!」
「帰れ」
カエデにつまみ出されても、補佐に連れ戻されながらも、タイカは勝負を挑み続けた。
――そうして気付けば、数十年という月日が流れていた。